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2004年1月号

4~20mA物語

4~20mAの直流電流信号がなぜ世界標準になったのか?(5)
(最終回)



長 谷 川 好 伸 様  
 [エム・システム技研、以下エムと略称]IEC規格として制定されるまで、担当WG4のその後の検討はどのように行われましたか。
 [長谷川]私がWG4の国内検討委員会に参加することになったとき、「統一信号はライブゼロの直流信号になるが、電流の値をいくらにするかを決めることは難しいのではないか」と審議の結果を予想していました。
 しかし国内委員会の検討では、考えていたよりも簡単に「DC4~20mA信号」に賛成することが決まりました。
 理由としては、DC4~20mAが、当時国内で実際に使われていた信号値、DC1~5mA、DC2~10mA、DC10~50mAなどのほぼ中間の値であったということ、また当時の半導体素子で扱い易い信号であったということなどが挙げられます。なお、それぞれの信号値はそれぞれに利点、欠点をもちますが、それらの利点も信号統一という大義に対抗するだけの理由にはなりませんでした。つまり、どの電流値でも大きな差はないという状況でした。
 IEC/TC65の本部委員長のあらかじめの根回しが電流値決定の大きな要因だったと思います。
 DC4~20mAの値が決まった後も、IEC本部において規格制定に時間がかかった理由は、次に挙げる2つの問題によるものだったようです。
 1つは、DC0~10mVの信号を統一信号に加えるという提案です。分析計を使っている委員からの提案のようでした。2つの信号を併記することは、信号統一の主旨に反するという意見と、mVの信号(電圧信号)をmAの信号(電流信号)に変えることは、単位まで変わってしまうために混乱が生ずるので、mVの信号も統一信号に加えるべきであるという意見とが対立しました。
 もう一つは、東欧の大学の先生と思われる委員からの、規格の文章などに関する本質に関係のない細かい問題の提案でした。この提案には反論が出て、議論が長々と続きました。
 WG4の国内検討委員会は、DC4~20mAの統一信号の値が決まった時点で、その任務はほぼ終了したと認識していました。したがって、その後は、送られてきた具体的な規格案をコピーして各委員に送付し、「原案に対し何らかの検討が必要でしたら、委員会を開催しますので連絡してください」という文書を添付しました。しかし、委員会開催の要求がなかったので委員会は開催しませんでした。したがって、上記の2項目について日本はとくに意見を提出しませんでした。結論がどう決まっても影響はほとんどないという考えだったからです。
 IEC規格の最終案は、DC0~10mVの信号は将来廃止するという条件で、補助の信号として記載するという結論だったと記憶しています。
 DC4~20mAの信号が決まってから1~2年後に規格案は最終的にまとまり、推奨規格として発行されました。その後、賛否の投票を経て正式規格になったわけですが、日本のWG4委員会は推奨規格の発行時点で実質的にお役目終了となりました。
 JISに関しても、JISの事務局から推奨規格を翻訳したものが送付され、JISとして制定することの意見を求められましたが、とくに異論はないとの返事を出しました。
 その後の取り扱いについては承知していません。
 日本のメーカーは、規格の発行に関係なく、統一信号がDC4~20mAに内定したときから対策を行いましたので、IEC規格が発行されたときには、日本ではDC4~20mAの信号がメーカー、ユーザーで統一信号として一般化していました。
 [エム]DC2~10mAからDC4~20mAへの信号変更は、北辰電機ではどのように行われましたか。
 [長谷川]当時は電気信号の増幅素子はトランジスタでしたが、トランジスタの安定性、性能が向上して、従来の変調方式の直流増幅に変わり、簡単な回路構成の直結直流増幅が採用できるようになり、北辰電機では、新しい回路素子を使った新しい制御システムを開発中でした。信号の変更は新製品から実行され、あまり大きな混乱はなかったと思います。
 他社でも、同じような環境にあったと思います。
 規格の統一には、統一に適したタイミングがあります。新製品を販売開始し、相当数出荷した後の信号変更の場合には混乱があったと考えられます。
 [エム]DC4~20mAはハネウエル社が採用していた信号です。この信号が統一信号になったのには、ハネウエル社の政治的影響があったのではありませんか。
 [長谷川]前にも述べたように、DC4~20mAの信号は、技術的にはとくに問題のない信号です。ただしDC4~20mAでなければならないともいえません。技術的にはこの近くの信号であればどれでもよかったと思います。
 DC4~20mAはIEC本部のTC65委員長の提案でしたが、この提案にハネウエル社の政治力が働いたかどうかは分かりません。ただ、ハネウエル社は世界的規模の会社で欧州、アメリカ、日本のいずれでも大きな発言力をもっていました。統一信号の規格制定に関しては、ヨーロッパのハネウエルが中心となって活動していたようで、ヨーロッパの委員の間の非公式な話し合いの情報を、山武ハネウエルの委員から教えてもらった記憶があります。
 [エム]最後に、統一信号の規格制定作業に参加なさって、長谷川さんが感じられたことがありましたら、お話しください。
 [長谷川]当時は、欧米から技術を学んで欧米の技術に追いつくのを目標に仕事をしていました。欧米の委員は先輩であり先生でした。
 一方、我々戦争中に義務教育を受けた年代は、先生、先輩また官庁が言うことに対しては、不満があってもだまって従うという教育を受けてきました。したがって、日本から提出された回答は、先輩に失礼のない、さしさわりのない意見の陳述に終わりました。
 日本の技術が認められていないので、日本の意見は重く見られないだろうという予測もありました。
 余談ですが、先輩の考えに素直に従うという考え方は、先進国に追いつくには能率の良い、有効な考えだったと思います。しかし先進国の一員となった現在、世界をリードする自分自身の考えをもたなければ、現在の地位を維持できません。
 教えられたことを理解し記憶することに重点を置いている教育から、独自の考えを作り出す能力向上のための教育への転換が必要でしょう。
 もう一つの問題は、私個人の問題ですが語学力の問題です。学会で、外国人の英語での発表を聞いてまったく理解できなかった経験があり、ヨーロッパでの委員会に出席して討議に参加する自信はありませんでした。他のWGの主査の中には本部の会議に出席した主査もいましたが、私は1度も出席しませんでした。北辰電機のヨーロッパ駐在員に代理で出席してもらい、会議での資料と会議の内容の報告を送ってもらい、意見は書類で提出しました。
 国際会議に出席して積極的に討議のできる若い人達が増えたことは頼もしい限りです。我々の時代には、ほんの限られた一部の人にしかできませんでした。
 結果として、私の力不足もあり、日本としては統一信号決定に影響を与えるような特別な活動はできませんでした。日本のWG4委員会の功績としては、会議の情報を各社で共有し、委員会から送られた文書の中からDC4~20mAの決定を予測して各社での対策を早くとり、混乱を少なくしたことが挙げられると思います。
*   *   *
 [長谷川]最後に、DC4~20mAへの信号統一は古い出来事で、この物語は個人の記憶に頼った話であり、私の記憶に誤りがないとは言いきれません。もし一部に間違いがありました場合は、ご容赦願いたいと思います。
 長い間のお付き合い、ありがとうございました。
 [エム]ありがとうございました。■

本稿についての照会先:
 (株)エム・システム技研 東京支社
 商品統括部
 TEL.03-5783-0511
 FAX.03-5783-0757

 

 
 
 

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