トップページ >4~20mA物語 第3回

2003年11月号

4~20mA物語

4~20mAの直流電流信号がなぜ世界標準になったのか?(3)



長 谷 川 好 伸 様  
 [エム・システム技研、以下エムと略称]前回までのお話で、計装用標準信号(統一信号)として、直流信号DC4~20mA、DC1~5Vがどのような点で優れているかについて技術的な側面からご説明いただきました。しかし、DC4~20mAやDC1~5Vが国際規格として採用されるまでの経緯においては、技術的な側面と同時に、国別の規格の問題や、各メーカーの企業戦略など、様々な要素がいろいろな方向に働いたのではないでしょうか?
 それではまず、当時、計装に関連した国際規格の関係がどのようになっていたのか教えてください。
 [長谷川]電気関係の国際規格を作る機関の代表として、IEC(International Electrotechnical Commission=国際電気標準会議)があります。IECはスイスのジュネーブに本部があり、電気、電子技術関係の規格を国際的に統一することによる世界経済の発展や国際貿易の促進を目的として活動する非政府機関です。日本もIECのメンバーであり、会議のなかで重要な役割を果たしています。東大名誉教授の高木 昇 博士が議長を務められたこともありました。最近では、国際規格とJIS規格の整合のため、IECで決められた規格は、とくに問題がない限り、原則としてそのままの内容でJISに採用されるようです。
 電気関係だけでなく、広く国際的な標準を作る機関としてはISO(International Organization for Standardization=国際標準化機構)があり、古くはここで決められたイソねじが有名です。最近では、品質マネージメントシステムや、環境マネージメントシステムのようなソフトの規格で知られています。ISOとIECには密接な関係があり、内容によってはISO/IECとして一つの組織として活動が行われることもあります。
 [エム]当時、日本側としては、どのような体制で対応していたのでしょうか?
 今でこそ、日本は工業先進国として世界をリードする立場にあると思いますが、当時は欧米の工業先進国を必死で追いかける「発展途上国」の立場にありました。したがって、国際規格への対応についても、今日とは比べものにならないような苦労があったのではないでしょうか?
 [長谷川]日本の事務局はISO、IECともに通産省工業技術院の標準部で、同じ手続きで処理されていました。日本での扱いは、技術テーマごとにあらかじめ選定された学会や機械振興協会のような半官半民の協会、工業会などの団体に検討・審議が委託され、委託された団体は対策委員会を作って対策を検討し、結果は日本の事務局を通じてISOやIECの事務局に提出されました。
 委員会に派遣される委員は、本来、それぞれの分野のオーソリティーであり、企業や団体の利益代表ではないというのが建前です。しかし、民間企業から派遣されている委員の多くは、勤め人であり、自社の利益代表としての使命を背負いながら活動しなければならないのが実情でした。会社の意向に反しての活動は許されませんでした。また、委員会の国際会議が行われる場合などに、もし、会社が出張費を出してくれなければ、手弁当で参加しなければなりません。当時の海外出張は今とは比べものにならないような一大事であり、よほどの理由がないかぎり、会社は海外出張を認めてくれませんでした。
 [エム]工業計器に関する委員会でも、同様な状況の中に委員が派遣されたわけですね。
 [長谷川]そのとおりです。工業計器の規格を作成する委員会はIECの工業プロセス計測制御(industrial process measurement and control )技術委員会TC(technical committee)65で、IEC/TC65といわれています。
 TC65には技術テーマごとに3つの分科会SC(sub committee)が、それぞれの下部とTC65に直属する形でいくつかのWG(working group)が設けられており、日本でもこの組織に対応する形で国内対策委員会が作られています。
 各WGは、そのときの要求に従って、新しく作られたり、所属するSCが変更されたり、閉鎖されたりします。当時は、TC65に直属するTC65/WG1が工業プロセス計測制御用語の定義を定めるWGで、その他SC65Aにはパネル計器の寸法に関するWGなどがありました。DC4~20mAやDC1~5Vが決められたのは、SC65AのWG4でした。SC65Aではその後、プログラマブルコントローラの言語、トランシーバからの電波障害などの審議が行われたようです。
 日本でのTC65への対応については日本電気計測器工業会が委託され、事務局となって進められています。TC65の日本の代表は大学の先生でしたが、各WGでの具体的な検討・審議作業は、メーカーから派遣された委員によって実質的に行われました。
 [エム]メーカーといいますと、たとえば当時のどんなメーカーが委員を派遣していたのでしょうか?
 [長谷川]電気計測器工業会が事務局なので、大部分の委員は電気計測器工業会の会員会社から派遣されました。工業計器のメーカーはほとんど会員なので、工業計器メーカーのすべてから委員が出ていたと思います。
 日本のIEC/TC65国内対策委員会は、委員長がIEC本部のTC65の委員でもある大学の先生で、委員は各WGのグループ長を含む、メーカー、ユーザー、その他学識経験者などの第三者で構成されていました。TC65の国内対策委員会は、ヨーロッパで開かれるIEC本部会議の開催前に開かれ、各WGの現状、問題点が報告され、討議が行われました。
 各WGのグループ長は各社に割り当てられました。
 私が所属していた北辰電機はすべてのWGに委員を出していました。北辰電機が事務局から割り当てられたグループ長はDC4~20mAを審議したSC65A/WG4で、私はそのグループ長として審議に参加しました。
 委員にはユーザーの代表も参加していましたが、当時は工業計器の発展途上で、作れば売れる時代であり、どちらかといえば委員会においてもメーカー主導で審議が進められていたように思います。
 しかし、参加していたメーカーの委員は、会社から派遣されていますが、ユーザーの立場に立って規格を作らなければならないことは十分理解していました。討議でも、自社の立場だけに偏った利己的発言はほとんどありませんでした。
 余談ですが、発展途上の時代は製品を開発する技術者にとっては楽しい時代でした。若い一技術者でも、広い立場で物事を考えていました。現在は技術が細分化されて、若い技術者は歯車の一枚になっているように思います。会社にとっても、このような委員会に技術者を派遣するとき、目先の自社の利益もあると思いますが、派遣する人の教育的な目的もあったと思います。
 [エム]ところで、国際規格に関する他国の動きはどのようなものだったのでしょうか?
 [長谷川]ISO、IECの本部はスイスにあり、審議や規格の作成はヨーロッパが中心になって行われていました。
 アメリカは当時、規格の制定にはあまり熱心ではありませんでした。アメリカ人は規格に制約されて同じようなものを作ることを好まず、ほかとは異なるものを作ることを、企業、個人とも心掛ける傾向が強いと思います。このことは、ベンチャー企業がたくさんできる理由の一つでもあると思います。しかし、ISO、IECの規格を製品の購入条件にすることが、とくに後進国で増えたため、このような国へ輸出するためには規格を守る必要があり、アメリカも現在はISO、IECの規格の制定に熱心に参画するようになったようです。
 アメリカには、プロセス制御の規格を作る機関としてISA(Instrument Society of America 、後にThe Instrumentation, Systems, and Automation Society)がありますが、ISO、IECとは団体の性格が異なり、両者の連携は必ずしもうまく行っていないように思われます。 ■
(次号に続く)
本稿についての照会先:
 (株)エム・システム技研 東京支社
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 TEL.03-5783-0511
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