エムエスツデー 2009年4月号

衣食住−電 ものがたり

第13回 人工臓器(サイボーグ)

深 町 一 彦

 石ノ森章太郎氏のマンガ「サイボーグ009」で、誰にも馴染みの言葉になりましたが、サイボーグとは架空の話ではなく、人工臓器などを身体の中に埋め込んで、身体の機能を補強したり補ったりした人間のことです。ロボットは基本的に人工物でできていますが、サイボーグの主体は人体です。アメリカの医学会が1960年ころ提唱し始めた概念で、Cybernetic Organismの略です。マンガでは人間の及ばぬ身体能力を発揮しますが、現実は医療目的に使われ、傷んだ身体を助けて正常な人生を送るのが目的です。

 人工臓器については、1943年、第二次世界大戦のころ、オランダの医師、ウィレム・コルフが自分で製作した人工腎臓を使って腎不全患者の透析治療を行ったのが始まりといわれています。今日では、人工心臓を始めとして人工腎臓、人口肺など、脳を除いて人工物に置き換わらない臓器はないのではないかと思われるほど広い範囲の身体の部品が置き換えられています。最近では、コメディアンの加藤茶氏が、人工血管を使った大手術で一命を取り留めています。インプラントした義歯や、人工関節、移植した角膜なども入ります。非常にジャンルが広いのですが、ここでは、人工心臓に視点を置いて話題を拾ってお話しします。

心 臓 移 植

 1967年、南アフリカで世界初の心臓の移植が行われました。長らく移植以外に治療法がないといわれながら、中々踏み切れなかった手術でした。

 日本では、1968年8月、和田心臓移植事件というのが新聞紙面を賑わしました。札幌医科大学の和田寿郎教授の主導の下に、21歳の溺死した男子学生の心臓を、通常の治療や手術では根治できないとされる18歳の高校生に移植したもので、世界で30例目の心臓移植手術でした。まだ心臓移植ということそのものがタブー視されていた時代で、賛否両論が巻き起こりました。患者はやがて意識を回復し、8月の末には病院の屋上を散歩して、回復ぶりがマスコミに披露されました。しかしその後状態が悪化し、術後83日で亡くなりました。原因については、いろいろな説明がされていますが、素人としては判断を避けるべきでしょう。しかし、メディアはこぞって話題にし、和田医師に道義的問題があったのか、心臓移植に異論があったのか、混乱したまま非難の嵐を浴びせました。

 この事件は、日本の臓器移植医療を数十年は遅らせたといわれており、メディアというものの理性のあり方を考えさせられる事件でした。日本における2例目はそれから約30年、1977年に臓器移植法が成立してからのことでした。その間、移植以外に治療法がないと宣告されながら、なすすべもなく亡くなった方が何人もおられたことでしょう。高額の費用を都合して、米国に渡って手術を受けられた方もおられます。

人 工 心 臓

図1 世界初の全人工心臓 一方、1957年には、一人の日本人、阿久津哲造氏が米国で人工心臓の研究を始め、58年には人工心臓を犬に埋め込みました。この犬は1時間半生存して世界を驚かせました(図1)。

 筆者の近くでは、1966年、早大で故土屋教授が、東京女子医大と協力して人工心臓の開発を始めたのを見聞しています。翌年1号機を、心不全の生体心は残したまま補助心臓として並列に人工心臓を装着した犬が、やはり1時間半生存しました。

 現在でも、人工心臓は、完全置換型の人工心臓と補助心臓型の2つの方法があります(図2)。

 始めは、自励振動を利用して、空気圧でダイアフラムを往復動させて血液を送り出す装置でした。吐出量と吐出圧を、心臓の鼓動にできるだけ似せてコントロールしようと苦労を重ねていました。空気圧作動では患者は空気配管につながれていますが、最近は小型のモータとシリコンオイルを使った油圧の往復動の小型心臓ができ、完全埋め込みはできないまでも、バッテリやコントローラが小型のスーツケースに入るくらいになったと聞いています。

図2 空気圧駆動ダイアフラム方式の補助人工心臓 1990年代に入り、拍動のない遠心ポンプや、軸流型のポンプが使われるようになりました。回転型のポンプを使って拍動がなくとも生存に影響がないことが分かると、いろいろな問題が急転直下変わってきました。唯一の摺動部、軸受けはピボットを使用したり、純水を使用してシールしたり工夫が凝らされています。今日では磁気浮上型にする技術も確立されています。磁気浮上により摺動する部分がなくなると、機械的な寿命や故障率の問題が大きく前進するばかりではなく、血栓(血の塊のようなもの)が摺動部で発生し、血流に乗って他の臓器の血管を塞いでしまい、脳梗塞や心筋梗塞などを引き起こす心配が大幅に減少することになります。

人工心臓と心臓移植

 心臓移植は、優れた免疫抑制剤の開発が進んで、飛躍的に良い結果が残るようになりました。術後の生活の質も非常に良くなりました。わが国だけとってみても、2008年までには心臓移植は50件を超え、死亡例は2件ということです。5年以上の生存率は90%を超えているとのことです。大半が10年を超えているそうです。問題は、手術の希望者に較べて生きた心臓の供給が圧倒的に少ないことです。脳死という観念について、社会的に、とくに遺族にとっては、コンセンサスが確立されているとは思えません(脳死とは、医療に移植が採用されるようになって使われ始めた死の条件です)。

 移植を希望してから1年、2年と待たされることが珍しくありません。病んだ心臓は、多くの場合、それまで耐えられないことが多いので、「つなぎ(ブリッジといっています)」に補助人工心臓を装着して、提供心臓が現れるのを待つことが普通になりました。

 最近では、自己心機能回復の目的としての補助人工心臓の役割や、永久使用を視野に入れた臨床例も増えています。

人工臓器を支える技術

図3 サンメディカル社の補助人工心臓「EVAHEART」 人工臓器は、一瞬の故障・停止が生命に関わります。我々の身の回りにある多くの工業製品の耐久稼動年月を考えるとき、いかに大変な技術なのか、その重さを感じます。
 こうした緻密な機電一体の技術は、わが国の得意芸でもあります。事実、医療体制や社会慣習に多くの問題が積み残されているにも関わらず、わが国の人工臓器に関する技術は世界に先駆けて多くの実績を残しています。テルモ社は子会社Terumo Heart社の製品の臨床試験を海外で先行させ、ヨーロッパで販売を開始しました。先に挙げた早大と東京女子医大の共同研究も、サンメディカル技術研究所から「EVAHEART」の商品名ですでに治験中です(図3)。

*   *   *

 こうしている間にも、生命の残り時間の足音を聞きながら、技術の進歩を待っている患者さんが少なくないことに想いを致しております。

〈参考・引用文献〉
「人工臓器は、いま」、日本人工臓器学会 編、はる書房
「人工臓器イラストレイティッド」、日本人工臓器学会 編、はる書房


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