エムエスツデー 2008年7月号

衣食住−電 ものがたり

第4回 電気の流れから電子へ 増幅と制御

深 町 一 彦

図1 真空管(ST 管)を使用した高級ラジオ エレクトロニクスの原点は、真空管の発明から始まると考えるのが妥当でしょう。

 今では、トランジスタに取って代わられ、真空管を見たことがない人が多くなりました。日常生活では、一部のマニアが管球アンプを使っているくらいです(図1)。

真 空 管

 真空管は、電子管(あるいは熱電子管)とも呼ばれ、昔のラジオは真空管が重要部品でした。お年寄りが感慨深く語る、終戦の天皇陛下の放送も、旧式の真空管ラジオで聞いたものでした。雑音に埋もれるようにして聞こえました。

 真空管の基本的な原理の発見は、やはりエジソンでした。白熱電球の開発中、フィラメントの劣化に悩み、フィラメントを金属箔で覆ったところフィラメントと金属箔の間に電流が流れること(エジソン効果)を発見しました。彼は、特許はとったもののそのまま放置していました。後に、ジョン・フレミング(右手・左手の法則で有名な)が研究を重ね、1904年、2極真空管を発明しました。フィラメントから放出される自由電子が真空中を飛んで金属板(プレートと呼ばれています)の電圧に吸い寄せられて電流になるというものです。プレートの電圧がプラスのときだけ、電流が流れるので整流作用があり、すでに実用化されていた無線通信の検波に使われました。今のトランジスタ・ダイオードと同じ働きです。

図2 ド・フォレストの3 極真空管 2年後、1906年にリー・ド・フォレストが、このフィラメントとプレートの間に格子状の金網を置いて、この格子(グリッド)とフィラメントの間にマイナス電圧を加えると、その電圧が電子の流れを抑制して、プレートに流れる電流を加減できるという、3極管を発明しました(図2)。グリッドからはほとんど電流は流れず、しかもその電圧のわずかな変化に対して、プレートからの電流は大きく変化するという信号の増幅作用が、エレクトロニクスの技術の大展開のきっかけになります。すでに白熱電球の製造技術は確立されていたので、この発明は、直ちにウェスタン・エレクトリック社によって実用化され、すでに実用期に入っていた電話の音声信号の増幅に使われました。初期の真空管は、電球の製作技術をそのまま使用していたので、フィラメントを加熱する電流は電球のようにソケットに接続されていたそうです(木村 哲人 著「真空管の伝説」 筑摩書房)。

 興味を引くのは、電話も、無線(ラジオ)も、こうした真空管の発明以前に、困難を伴いながらも、それを何とか乗り越えて実用に供されていたことです。真空管に始まるエレクトロニクス技術は、すでに社会にある程度定着した通信システムに乗って、それが抱えていた課題を一挙に解決し、後のエレクトロニクス全盛の時代へと導いたのです。

信号の増幅

 それまでも電話回線にトランスを入れて電圧を上げる努力などは試みられていましたが、電圧を大きくすると電流が減少する、つまり電力量は変わりません。梃子で動きを拡大すると力が小さくなるようなものです。遠方に伝送するにつれて、雑音に埋もれて判別できないという問題に悩み続けてきました。真空管の場合、入力電圧をわずかに増減すると、全く別の電力源の電流を加減できるということで、手綱を捌いて馬を奔らせるように、わずかなエネルギーで大きなエネルギーを制御する技法が手に入ったわけです。電圧の微小な変化に対して、大きな電流の変化が得られることです。電圧/電流の変化を信号(情報)として扱うと、微弱な信号を適度な強さの信号に変換して取り出すことができます。

 前号まででご紹介した初期の電気の話は、おおむねパワーとしての電気の利用でしたが、ここでは、信号として電圧/電流の変化が使われています。

真空管からトランジスタへ

図3 高機能、小形化した真空管の進化 真空管は、非常に長い間、電子技術の中核として通信に、計測に、制御機器にと、広く活躍してきました。半世紀をかけて、高機能、小形化が進みましたが、基本的な問題として、長時間(1万時間くらい)のうちにはヒータ(フィラメント)が断線したり、性能が劣化したりします。高価なもので、ラジオの調子が悪いと真空管が悪くなったかと心配したものです。「お前、頭の真空管が惚けたんじゃねぇのか」と、落語のネタになったほどの日常の話題でした。それに、発熱するので、数多く使うとケースの中は大変高温になりました。

 プレートには200ボルト以上の直流電圧が必要だったので、現在のトランジスタに較べると、かなり回路の組みにくいものでした。何より、多段の直流増幅ができないので、計測の世界では、一旦、直流入力を交流に変換して、それを増幅して、最後にまた同期して復調するなどという複雑な工夫を凝らしていました。

図4 真空管を使った全電子式計装用PIDコントローラ 1950年代後半には、真空管を駆使して、直流電流信号(その頃は現在のDC4~20mAに限らず種々なレベルの信号が覇を競っていました)の全電子式プロセスオートメーション機器が使われていました。PIDコントローラも真空管で組まれていました(図4)。

 1946年、世界最初の電子式コンピュータENIACは、まだトランジスタが発明されてなく、1万8千本の真空管が使われていたそうです。基本的な素子は真空管のフリップ・フロップだったのでしょう。作業者は真空管の交換に追い回されたという話です。冷房も大変だったでしょう。

 1948年、ベル研究所でトランジスタが発明されました。電力効率もよく、形も格段に小さく、堅牢で半永久的に使用できるトランジスタの時代が来ます。日本では1945年頃、東京通信工業(現ソニー)によって国産され、1955年には最初のトランジスタラジオが商品化されました。

 一方、真空管は1970年代頃から国産の汎用品は入手できなくなり、現在オーディオマニアが購入しているのはほとんどロシア製です。ロシアは真空管の技術が温存されており、1976年ベレンコ中尉がミグ戦闘機を操縦して日本に亡命してきたとき、戦闘機の電子機器類に真空管が使われていたという話です。

制 御

 現在では、真空管に代わって半導体全盛ですが、物理的な構造や機能は変わっても、電子の流れを微細な入力で制御するという基本は変わっていません。入力は電気だけではなく、光、磁気、力など物理現象を利用したものもあります。このため、センサとも呼ばれることがあります。

 改めて目を転ずれば、小さな力で大きなパワーを制御するのは、電子の流ればかりではありません。蒸気タービンは蒸気弁を開閉すれば発電量が変わります。バルブを操作して大きな水路の流れをコントロールするのは、ローマの遺跡にも見られることです。

 真空管やトランジスタ回路だけでなく、こうした制御動作を一般化して捉え、ものの動きを入力と出力の関係として理解しようと考えるようになりました。

 「制御理論」は、流れも、機械動力も、化学反応までも、その実態の構造には関わりなく、入出力関係というものの動きの因果関係だけに着目して抽象化して理解しようという工学です。


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