エムエスツデー 2021年10月号

ごあいさつ

(株)エム・システム技研 代表取締役会長 宮道 繁

(株)エム・システム技研 代表取締役会長 宮道 繁

 私は2021年7月23日に遂に87歳の誕生日を迎え、バースデーディナーを「あべのハルカス」の57階にある洋食レストランで夫婦二人きりで祝いました。
そのレストランからは、天空から大阪全体を見下ろす形になり、自分の生まれ育った南大阪を一望できる素晴らしい景色が展開していました。子供のころによくトンボを取りに行った長居公園(現在は立派な競技場を備えた大きな公園になっています)がはっきり見えます。もちろん私が卒業した阪南小学校、松虫中学校、住吉高校などもすべて確認できます。さらに、教養学部のときに通った阪大南校は、姿を変えて15階もある公団住宅になって映っています。よく見ると、木津川にかかる千本松大橋が見えます。そしてそのすぐ東側にエム・システム技研の本社ビルの屋上に設置した、ロゴで飾った社名の看板が見えます。まさにこの南大阪には私が生涯を過ごすことになった背景がぎっしり詰まっています。その姿を眺めながら日が沈んで行くのを見て幸せな気分になりました。当日はよく晴れた暑い一日でしたが、西の方には本州と四国を結ぶ明石大橋までがはっきりと見えました。
 さて、当日には待望の「東京オリンピック」の開会式が行われていました。新装された国立競技場に無観客で行われた開会式をテレビで見ていたのですが、何か寂しいものがありました。でもよく開会式に辿り着いたもので、関係者各位のご苦労がしのばれました。
 こうして南大阪を見渡して自分の人生を振り返ってみると、来年で「創立50周年」を迎えるエム・システム技研が、一度も赤字決算をすることなくすくすくと育ってきた幸運をかみしめることになりました。
 私は、かつて東京都大田区下丸子にあった「(株)北辰電機製作所」に入社を許され、社会人としての人生を歩み始めました。しかしながら、社会は自分の考えていたものとは程遠いものでした。企業というものは、当然同業者と競争して発展して行くものだと思っていましたが、現実は複雑で理解困難な現象が至るところにあって、自己主張をすれば上司からは「青二才のくせに!」と言われる始末でした。自己を殺して14年間業界を経験した結果、自分の納得の行く会社を作ることを決意し、「うまくいけば定年のない身分になれるぞ」と思いました。
 「株式会社エム・システム技研」を、1972年4月に法人登記しました。ちょうどそのころ、日本ではようやくシリコントランジスタが実用化され、工業計器の電子化が一段落したころでした。大手の工業計器メーカーは、センサ、変換器、指示計、調節計、警報設定器、そして記録計などの一式を商品化して、「〇〇シリーズ」とか「△△ライン」と銘打って、「計装システム一式」の受注を目指して激しく市場争奪戦を展開していました。
 スタートしたばかりの社長1人、社員ゼロの株式会社エム・システム技研は、「電子式変換器の専業メーカー」になろうと動き出していました。「収納ケースをプラグイン式にすること」で同業他社の変換器に対し差別化することにしました。
 「幸運というものがこの世にあるのだ」と実感する出来事がありました。大阪には日本橋4丁目を中心に電設資材や電子部品を扱う専門店が軒を連ねている一画がありました。中学生のころ、真空管ラジオの組み立てに取りつかれて、よく部品を買いに行ったところです。そこに店を構えている工具屋の店長に、「プリント基板の設計から製作、そして電子部品をハンダ付けまでしてくれるところはありませんか?」と尋ねたところ、その場で手先の器用な人が社長をしている会社に連絡を取ってくれました。何と、その会社にはエム・システム技研の創業製品であるエム・ユニット写真1)にピッタリの、プラスチックケースが置いてありました。私の考えていた「変換器のケースそのもの」だったので、驚いて「この箱はどこで手に入れられましたか?」と尋ねたところ、「私が設計して作ってもらったものです」という返事でした。奇遇なことで、後にこの会社はエム・システム技研が買収することになりました。
写真1 37年前のプラグイン形変換器(透過写真)
写真1 
37年前のプラグイン形変換器(透過写真)
最新のプラグイン形
変換器(透過写真)

最新のプラグイン形変換器(透過写真)

  

変換器事業を始めるにあたって、私にとって一番の難題であったケースそのものが手に入ったわけですから、早速商品開発に取りかかることにしました。若くして腕前のいいアナログ技術者も獲得しました。このケースにピッタリ入る電源トランスも大手家電メーカーの協力会社に作ってもらいました。こうして創業製品であるエム・ユニットが誕生する条件が整いました。
 当初は、「どの工業計器メーカーも手をつけるはずのないものは何か?」と考えました。大手工業計器メーカー各社が提唱する「標準信号をほかのメーカーの標準信号に変換する信号変換器」がそれだと思いつき、エム・ユニット変換器シリーズとして発売しました。1~5mA DC、2~10mA DC、4~20mA DC、10~50mA DC、0~5A AC、0~110V ACなどがそのときに取り上げた変換器の入出力標準信号でした。
 私は、今でいうPA(プロセスオートメーション)の世界以外は全く無知だったので、このPA用工業計器の中でベンチャー企業「エム・システム技研」でもできる変換器を取り上げて、そのトップメーカーを目指すことにしました。鉄鋼プラント、石油・石油化学プラント、紙・パルププラント、セメントプラント、食品プラント、水処理プラントなど各種プラントへの計装は、各種センサ、記録計、表示計器、設定器のほか、高度な機能をもった縦形指示調節計とその出力で制御されるコントロールバルブで組み立てられています。これらの計装機器を、適正に信号へ変換して接続するものが変換器です。
 もちろん大手工業計器メーカー、すなわち総合計装機器メーカーは、このすべてを自社製品として商品化して、その性能や使い易さ、デザインなどを競っていましたが、その中でエム・システム技研は品揃えを進めて、「変換器ならなんでも揃うエム・システム技研」になることを狙いました。変換器はどんなに電子技術が進歩して変化を遂げようとも必要不可欠なものであり、計装システムの接着剤の役割りをはたすものであると確信していました。
 牧野昇さんの著書を愛読していた私の目を引いたのが「インテルの創業者ゴードン・ムーアという人が、『電子技術の進歩発展は指数関数的で、電子部品は1.5年で機能性能が2倍になる』と主張しているのは誠にもっともだ。だから電子部品を作る方にまわらず使う方にまわると、向こうから小形化とコストダウンがやってきます」というフレーズでした。この一言も電子式計装機器の変換器メーカーを目指すときの後押しになったように思います。
 そのころの変換器は、まだ熱電対や測温抵抗体からの信号を入力にして、4~20mA DCのような標準化された電流信号に変換するようなものしかありませんでした。またそれはセンサから出てくる微小エネルギーの電気信号を入力として、精度を落とすことなく長距離伝送ができる電流信号に変換するものといった概念がありました。それでも私はその概念を拡大解釈し、センサ入力変換器のほかに、アイソレータ、ディストリビュータなどを加え、電力用変換器、パルス変換器、電空/空電変換器、警報設定器、デジタル信号変換器、特性変換器、電電ポジショナ、バックアップ付手動操作器なども便利な機能として各機種に加えて作り続け、エム・ユニットだけで196機種を数えるまでになり、「計装システムの設計者を支援する変換器メーカーになれた」と自負しています。もちろんアイソレーション2出力の変換器も用意しました。
 この話はここで留まることなく進化しました。複数のアナログ信号を入力とし、オープンネットワークのデジタル通信信号にして伝送するリモートI/Oが誕生し、お客様のご要望に沿う形で設計開発を進めることで、変換器につぐ需要のある製品として目下発展途上です。
 エム・システム技研の主力商品である変換器もリモートI/Oも、すべての入力、出力はほかの回路から電気的にアイソレーション(絶縁)してあり、接続対象や外的ノイズによる出力変動を極限まで圧縮し、お客様の計装システムの高性能化と安全性に貢献しているものと思っています。
 商品の販売はすべて「エムコン会」を中心とした商社にお願いし、もちろん価格や納期を公表して、すべてのお客様に安心してご利用いただける条件を整えています。
 エム・システム技研の「5つのポリシー」である、
①廃形しません。
②納期を守ります。
③特殊仕様による追加費用は不要です。
④救済ワイド補償サービス3年
⑤「設定出荷サービス」の設定費用無料

 は、エム・システム技研のあり方を具体的にまとめたものです。
 変換器、リモートI/Oのほかに、タブレットレコーダ®や各種表示器も商品に加わり、ついにシングルループコントローラSCシリーズを完成させました。今や、既設のどのような計装システムでも、エム・システム技研の商品でリプレースができるところまできたのではないかと思っております。
 エム・システム技研は50年かけてここまで成長してくることができました。
 志をもってすれば社会はしっかりと受け止めてくれます。大変ありがたいことです。

「あべのハルカス」展望台より南方向を臨む
「あべのハルカス」展望台より南方向を臨む


ページトップへ戻る