エムエスツデー 2017年7月号

ごあいさつ

(株)エム・システム技研 代表取締役会長 宮道 繁

(株)エム・システム技研 代表取締役会長 宮道 繁

 桜の花もほぼ散り終わった4月18日に、私は、さきの太平洋戦争の末期に国策として実施された「学童・集団疎開」(縁故疎開ではなく、学校単位の集団での疎開)の疎開先であった和歌山県は東貴志村(当時の名称)の「ふみや旅館」を、疎開仲間と共に訪問しました。私がその集団疎開に行くことになったのは、昭和20年5月1日のことでした。切っ掛けは、その年の年明けに大阪市内が米軍のB29大型爆撃機による大空襲に遭って焼野が原となり、遠くからでも大阪城が丸見えになった惨状の発生により、国民学校(当時は小学校のことをこう呼んでいました)5年生の私は、集団疎開に数か月先発の同級生が居る「ふみや旅館」に急遽送り込まれました。
 それから72年が経過した今年、疎開仲間のDさんの呼びかけで今回のこの訪問が実現しました。天王寺駅に集合した参加者10人がJR阪和線で和歌山駅まで行き、貴志川線に乗り換えて終点の貴志駅(猫の駅長「タマ」で知られる駅)で下車し、10分ほど歩いて貴志川に架かる錆の浮いた鉄橋を渡ると、すぐの所に「ふみや旅館」がありました。ただし、その老朽化した鉄橋を最新形の橋に架け替える工事が進んでいて、「ふみや旅館」は立ち退きを迫られたため、それを機会に100メートルほど離れた所に新築して移転したとのことであり、その開業の御祝いに行くことが今回の訪問の目的でした。旅館のご主人は2代目で、快く歓迎の意を込めて豪華な昼食を用意してくださっていました。戦後70年も経ったのに、高齢化した当時の集団疎開児童が、こうして里帰りにも似た形で訪問できる会(「貴志の会」と呼んでいます)は珍しい存在だろうと思います。なお、この集団疎開時の体験は、私がエム・システム技研を創業する契機になったのではないかと思います。

 私は消去法で選んだ阪大の通信工学科を卒業して、その頃新しい形の事業として立ち上がろうとしていた「オートメーション機器メーカー」の一社に就職したのですが、そこには何か起業の可能性があるのではないかと考えたからだったように思います。でも現実は厳しく、なかなか自立する手掛かりは得られませんでした。ありがたかったのは、工業計器が「空気圧式」から「電子式」に移行しつつあり、工業計器メーカーは先陣を切って「全電子式工業計器」の開発競争を展開していたことでした。ちょうどその頃のことですが、日本の各地には「コンビナート」と呼ばれる工業地帯が全国各地の海岸沿いに数多く建設され、日本経済は高度成長期に突入してゆきました。この期間を通じて工業計器メーカーは、ユーザー企業と一体となって巨大プラントに対する制御システムおよび計装技術の開発に力を入れてDCS全盛の時代へと向かっていました。この環境をチャンスと捉え、エム・システム技研は「小形プラグイン構造の電子式変換器」のメーカーを目指して創業することになりました。
 幸運なことに、このタイミングで米国のフェアチャイルド社からアナログ回路を構築するのに実に便利な「オペアンプ」と呼ばれるアナログICが発売され、手頃な価格で入手可能となっていたことが方針決定の要因として大きかったと思います。実際、その頃までの変換器はトランジスタを組合せてプリント基板に並べてハンダ付けをした構造になっていて、アルミの弁当箱を2個重ねたほどの大きさがありましたが、エム・システム技研では、このオペアンプ主体の回路構成で8ピンコネクタに差し込む方式の「小形プラグイン構造の変換器エム・ユニット」として発売し、これにより「変換器メーカー」の道を歩み始めました。当初はなかなか市場に認めてもらえず苦戦しましたが、①価格の公表、②例外のない「代理店販売方式」、③豊富な品揃え、④「短納期」を掲げて活動した結果、幸運にも高度成長経済も追風となって、バブル経済が崩壊した1990年までの間、毎年売上げを指数関数的に伸ばし、15年間で約200倍の成長を遂げました。

 それから25年余りが経過したわけですが、エム・システム技研はこの間積極的に生産技術の向上に努め、「変種・変量生産」を見事にやってのけるチップマウンタ設備を完成させました。その結果、このマウンタ設備は、膨大な数に上る機種の一つを指定して起動すると、たちまちにして必要部品を自動選定して実装を行い、目視検査も電子カメラとコンピュータとの連携で即座に完了させる仕組みになっています。今では高度な機能を詰め込んだ「シングルループコントローラ SC100/200シリーズ」のほか、お客様がお求めになるオープンネットワークのほぼ全てが接続できるリモートI/Oの膨大なシリーズなどを完成させて成長を続けています。

 ここまで来たエム・システム技研は、目下、「いつまでも成長を維持し続ける企業であるための条件」を整えることに正面から取り組んでいます。それは「エム・システム技研が、ユーザーの皆様方の生産活動にとって、必要不可欠な存在になること」であると確信しています。そのために何ができるかを考えたとき、次の1〜5を実践することに違いありません。

  1. 廃形をしません。
  2. 納期を守ります。
  3. お客様責任の初期不具合を無償で「救済ワイド補償サービス」を行います。
  4. 特殊仕様設計の製品に対し追加費用の無料化を宣言します。
  5. 「設定出荷サービス」を無料で行います。

 もちろんこの⑴〜⑸を宣言するのは容易なことではありません。とくに⑴の「廃形をしません。」は高度な仕組みが必要で、製品の内部に使用している電子部品が技術の急速な進歩と共に改廃が繰り返されているわけですが、部品メーカーが関係部品の廃形宣言をすると、設計変更期間を考慮してその部品の在庫を積み増した上で、新規開発と変わらない作業を経て当該部品の切替えを果たします。当然のことながら関係製品の全仕様項目のタイプテストを行い、同じ外形と同じ形式で生産を継続します。設計部門の多くのメンバーはそのために日夜活動する仕組みができ上がっています。

 日本の「高度成長」が昔話になった今、エム・システム技研がいつまでも存在し続けるために行っている活動を挙げますと、次の❶〜❻のようになります。

  1. 計装に必要な機能製品を徹底して取り揃え、必要な時に必要なものを必要な量だけ供給する「汎用的な工業計器」を生産し、お客様が計装システムの構築をなさる際の必要不可欠な存在になること。
  2. DCS、PLCの通信技術として市場に開放されているオープンネットワークに繋がり、必要な機能を果たすリモートI/Oを取り揃えて、PA、FA、BAの業界において必要不可欠な存在になること。
  3. 同業他社が廃形にした工業計器でも、同等機能をもった代替品の開発を行って需要者に供給すること。
  4. 現場設備はそのままにして上位システムの更新を可能にすることを目的とした、「変わったインタフェース機器」を供給すること。
  5. 見てまわり手書きメンテナンス作業を軽減して、リモートメンテナンスを可能にする新発売の無線信号伝送機器の普及を進め、工場の「見える化」に貢献すること。
  6. 省電力、省エネルギーを可能にする工場内の電力の「見える化」に貢献してゆくこと。

 ここに挙げた❶〜❻を実践し続けることによって、エム・システム技研はいつまでもお客様にとって「気易く便利かつ不可欠な存在」として活動し続けて参ります。
 今後ともよろしくご声援のほどお願い申しあげます。

920MHz 帯 マルチホップ無線 くにまる® 無線対応機器
920MHz 帯 マルチホップ無線 くにまる® 無線対応機器 [拡大図

和歌山県 貴志駅

(2017年7月)


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