エムエスツデー 2009年12月号

衣食住−電 ものがたり

第21回(最終回) 電気がもたらした新しい世界

深 町 一 彦

 電気の科学はニュートンの力学よりずっと遅れて人間の前に現れてきました。革命前のパリのサロンで貴婦人が、蛙の脚が痙攣するのを観察して喜んでいた時代から、未だ300年経っていません。実用は照明から始まりましたが、今日では、無いと一日とて社会が立ち行かない生命線となっています。また、私たち生命体も電気信号で機能していることも明らかにされてきました。電気という縦割りの学問ではなく、科学全体を統一するシステム科学へと発展してきました。

 工業的実用面からみれば、エネルギー/動力としての電気と、情報伝達の手段としての電気に分けられます。その電気がもたらした利便性は網羅しきれるものではありませんし、半年たてばさらに別の製品が出てくるでしょう。ここでは少し視点を変えて、電気社会の話題を拾ってみます。

工業製品の構造のフレキシブル化

 今までの機械というものは、ひと塊の機械構造の中に、からくり(ロジック)も、動力も、渾然一体となって工夫が凝らされていました。数世紀前に偉大な時計師や人形師が心血を注いで工夫した、特殊な形状の歯車、カム、リンク/レバーなど精密に加工された部品を組み立てて作ったメカニズムが、今日ではプリント基板の上で、容易に作れるようになってしまいました。マイコンの働きで、非線形の作動伝達までが簡単に手の内に入りました。

 その結果、ひとつの機械装置の中で、外界からの情報を取り入れるセンシング機能、論理処理をするマイコン部分、外界への働きかけを行うパワー/モーション構造に、機能の棲み分けが起こり、その間を電気配線で接続することで製品が完成し、いろいろな機構ユニットの配置が非常に自由になりました。

 電気と電子技術は、その利便性はもちろんですが、設計段階における数値計算など開発前の視界の見通しがきくようになり、製品開発の迅速性をもたらし、生鮮食料並みといわれるほど世代交代のサイクルが短くなりました。

電気自動車が象徴するもの

 最近の話題では電気自動車の実用化が見えてきました。二次電池の技術進歩で、蓄積できる電気密度が大きくなり、電気エネルギーが場所を選ばず手に入るようになったことによります。これは、産業界にとっても大きな出来事です。磁性材料の発達でモータが小型化し、車輪に内蔵されるインホイールモータが採用されると、各車輪が独自に駆動力をもちます。動力伝達装置が不要になり、機械加工技術の花形のようなトランスミッションやデファレンシャルギアが要らなくなります。代わって各モータの回転速度を制御するコンピュータと電気配線が動力の伝達と制御を果たすでしょう。エンジンと動力伝達機構をもたない自動車生産ラインとはどんなものになるのでしょう。

ネットワーク

 今更ネットワークに関する説明は要らないと思います。社会的に非常に重い位置づけにあるコミュニケーション手段です。しかし、余りに急速に普及して、しかも広域をカバーするので、必要な社会秩序が追い付いていないのが実情です。情報は増えるほどに信頼度が拡散して、森に隠された木の葉を探すような思いで、我々は情報の洪水の中で真実を探さねばならないのかもしれません。

数値計算と科学

 科学はニュートンの力学以来、できるだけシンプルで、しかも普遍的な数式にモデル化することで、統一的な世界観を形成してきました。モデル化できないものは、それが近似的に適用できる範囲を限定するなどして解を求めてきました。それでも、数式化できないものや、数式化しても解けないものも出てきます。方程式が非線形になると、ごく一部の特殊なものしか解が得られないことが妨げになっていました。コンピュータの演算能力の向上は、数式にモデル化できない現象も、現象そのままの数値をモデルとしてコンピュータに入力して、数値計算を駆使して、力ずくで解を求めることができるようになりました。この傾向は自然科学だけでなく、従来ともすれば定性的な学説が先行しがちであった社会科学系の分野でも、大量のデータの数値計算をもって検証しようという傾向にあります。

生命と科学

 真空放電を利用したX線透視は、医療器械としては非常に古く、19世紀の終わり頃にはレントゲンの手の写真があります。最近は画像解析技術が進み、コンピュータ断層撮影によって視覚情報が得られるようになり、X線画像はもとより、超音波画像、MRI画像など、身体内部の画像が患者にも理解できるほど身近になってきました

 1934年にポーランドで電子顕微鏡が発明されました。それまでの光学顕微鏡の分解能が可視光線の波長が理論的な限界であったものが、電子顕微鏡では、約千倍にまで分解能を高めることができました。それまでは細胞がようやく見える程度だったものが、細胞の内部や、ウィルスの増殖の様子などが電子顕微鏡の視野の中に明らかになってきました。

 ウィーン生まれの生物学者フォン・ベルタランフィも、細胞を通して生命現象の成り立ちに迫ろうとしていたひとりでした。戦後、カナダに渡り、細胞の自己組織化を研究していましたが、1945年に、ニューヨークで開催されているメイシー会議に「一般システム理論」を提唱しました。これは単に生物学の理論ではなく広くサイバネティクス、情報理論、社会学、心理学に亘る文字通り一般システムの理論構築の提唱でした。相前後してサイバネティクス(ウィナー)、情報理論(シャノン)など、後世に衝撃を与えた理論が続々と発表されました。

一般システム理論

図1 フォン・ベルタランフィ 著、「一般システム理論」

 ベルタランフィは、細胞が周りの高エネルギーのたんぱく質を分解吸収して増殖しながら、一方では崩壊を続け、生命体全体では一定の形態を保持し続けるさまを観察して、単なる構成要素の集合を超えて存在する「全体」の振る舞いを捉えて、システムという概念の基礎を確立しました。

 この一般システム理論によって、閉じた物理系では、エントロピー増大の法則どおりに、万物が秩序から崩壊へと進む一方、周囲とエネルギーと物質の交換がある開かれた系では、混沌から秩序の生成が行われ得ることを説明し、生命の神秘も物理学と矛盾しない統一したシステムであることが説明されることになります(図1)。システム理論は、生物学のみならず、自然科学全般、社会科学、心理学など、総ての世界に共通する相似性(ベルタランフィは同形性という言葉を使っています)をもっていることを指摘しています。

メイシー会議

 メイシー会議とは、米国のメイシー財団が継続的に主催する科学の全域に亘って議論する円卓コンファレンスで、コンピュータで有名なフォン・ノイマン、サイバネティクスのノーバート・ウィナー、情報理論のクロードシャノンなど、我々工学系のものがよく聞く人たちばかりではなく、レナード・サヴェッジ(統計学)、エリク・エリクソン(心理学)、マーガレット・ミード(文化人類学)、ローマン・ヤコブソン(言語学)など、とても書ききれないあらゆる分野の錚錚(そうそう)たる科学者たちが議論を交わして、新しい科学の時代の幕を開けた、歴史上特筆すべき集まりでした。

おわりに

 長い間、取り留めのないお喋りに付き合っていただきましたが、今回で終わりにします。話題を広げすぎてしまって、突っ込み不足で、井戸端会議みたいになってしまいました。興味を抱かれた話題があれば、あとはご自身の好奇心にお任せいたします。

 『エムエスツデー』編集の皆さん、長い間、ありがとうございました。

〈参考文献〉
・ フォン・ベルタランフィ 著、「一般システム理論」、みすず書房
・ イヤン・ブリゴジン/イザベル・スタンジェール 共著、「混沌からの秩序」、みすず書房


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