エムエスツデー 2009年9月号

衣食住−電 ものがたり

第18回 数値化と単位

深 町 一 彦

 「貴方 私のことどのくらい好き?」
 「一杯好きって、どのくらい?
 何メートルくらい?何キロくらい?」
 「君の体重くらい」
 「それって・・・」

 他愛のない会話ですが、近代は計量し難いものまで数値で示さないと気がすまないくらい、ものごとを定量的に示すのが普通になっています。我々は、自然数による数の勘定だけでなく、物言わぬ自然を相手に勝手に数値化して、大小を比較したり、自然の法則を計算したりしています。数値化とは、言語、文字に並ぶ人間の発明品でもあります。

始めは身の回りから

 始まりは、自分たち人間の体の一部を単位として計りました。身体尺とも呼びます。尺という字は手のひらを広げている象形文字からきています。中国の昔の尺は、一杯に広げた手の親指の先から中指の先までの長さだそうです。現在の1尺よりはかなり短めです。肘から先の腕の骨の長さが概ね1尺で、尺骨と呼ばれています。1尺は、我々の歩幅にも当たります。フィート・ポンド法の長さの単位もほとんど同じ長さで、歩幅を起点としています。今でも、ゴルフ場で距離を歩測している場面を見ます。

 1ヤードは3フィートということですが、このヤードという単位は何からきているか、いろいろな説があります。肘から指先までをキュビットと呼び、Wキュビットをヤードとしたのだろうといわれています。人の胴回りの長さだという話もあります。偶然ですが日本の女性の胴回りのメタボ基準が90cm、約1ヤードです。日本では布地の長さをヤールで呼びますが、ヤードのオランダ語(ヤールド)からきているので、同じ長さです。

 トルストイの短編小説に、農夫が新しく土地を購入するのに、日の出とともに歩き始めて、日没までに歩いて回ってきた範囲を、ひとつの単位として買う話が出てきますが、こんな計量単位もありうるのですね。

標準の制定

 社会が確立してくると標準を定めるようになります。エジプトでナイル川が氾濫した後、縄で測量して農地の境界を復元したといわれていますが、当然、共通の測量縄が用いられたと思います。度量衡の統一は、古くから試みられてきた社会規範の確立です。日本では701年、大宝律令と同時に度量衡制度の制定が行われています。度量衡制度の浸透は、強力な社会統治を背景にしています。

 日本では元亀2年(1571年)、織田信長が、征服した地では必ず信長の花押か焼印を押した判枡を配って、領内の取引の公正化に着手したとあります。それまでは、諸侯、藩主によって微妙に容積に差があり、取引の時と場合に応じて、力のあるものが有利になるような使い分けが行われていました。堺屋太一の小説には、しきたりを重んじる明智光秀が、判枡の使用によって、それまでの徴税と取引の旨みを失う諸侯の立場を憂える場面が書かれています。小説ですから、意図的に革新派と守旧派に書き分けているのかも知れません。

国際標準 自然から人間の製品へ

 国際貿易や世界地図を作るために、国際統一単位の必要が高まり、革命の最中にもかかわらず、パリ科学学士院が、長さの国際単位として、地球の子午線の赤道から極までの1千万分の1を1メートルと定めました。当初は、北緯45度の位置で、周期1秒になる振子の長さで決めようという案もありましたが、やはり実際の測量をもとに決めようということになり、大掛かりな測量事業の末決定されました。特殊な断面形状の白金とイリジウムの合金でできた1メートルの原器が作られ、世界共通の長さの標準として、パリ郊外の国際度量衡局に保管されてきました。同時に、質量の単位としてキログラムが制定され、同じ合金で原器として作られ保存されています。

 原器が制定されたということは、当初の手順を離れて、最早、地球の子午線に関わりなく、人間が意図的に決めた長さが世界の長さの基準になるという、ある意味画期的なことでもあります。今この基準で地球を測定したら、1千万メートルより少し長くなるそうです。

 1960年、今日のSI単位の採用に合わせて、長さの標準はクリプトン原子の放出する光の波長と定められ、さらに1983年、真空中の光の速さを基準とすることになりました。安定した光源が利用できるようになって、もはや、原器という実物に頼らずに世界各国で基準が得られるようになりました。長さだけでなく、長さ、質量、時間、電流、熱力学温度、物質量、光度の7つが世界標準の基本単位として決められていますが、現在、原器が使われているのは質量の単位(kg)だけです。他の単位はそれぞれ物理的な安定した基準を採用して標準とし、あるいは、この7つの標準を足掛かりに別の単位を組み立てています(図1)。

図1 7 つの基本単位と日常使用する組立単位

時間と時計

 少し、寄り道をして時計と時間の文化史を覗いてみます。機械時計ができたのは13世紀の終わり頃と思われています。棒テンプと脱進機によって機械的な固有振動を利用した機械時計は、ガリレオが振子の等時性を発見するよりずっと早くから実用に供されてきました。時計が発明されると、それまで一様に流れていた時間に、人工的に刻み目を入れることになり、人間は自分が発明した時計が刻む時刻に支配されて、日常生活や働く時間も時計が決めるようになりました。夏冬で昼夜の時間差の大きい西欧の諸国では、冬真っ暗な早朝でも、僧院では、定刻になると時計塔の鐘の音に合わせてミサを称えねばなりませんでした。機械が決める定刻性が神に仕える者の勤めでした。ミレーの晩鐘の絵は、ちょうど良い季節だったのでしょう。

 日本では、徳川家康に初めて時計が献上されたそうですが、日本的に改良して、季節に合わせ、日の出日の入りに合わせて昼夜の時間の刻みが変わる和時計が作られました。2つの棒テンプを昼夜で自動的に交換するものもありました。農業国ではこの方が生活に適した人間尊重の時計ですが、等間隔に時を刻む定時制に支配を委ねた西欧文明は、太陽の運行よりも人の理性を重視したのでしょう。

 現在では、時間の標準は天体の運行を離れて、セシウム原子の電子をマイクロ波によって振動させ、その電子の固有振動数を以って時間の単位としています。もちろん旧来の天体時間と矛盾しないように使用していますが、僅かな差が蓄積して、去年の大晦日の24時から今年が明けるまでに、どちらの年ともつかない1秒が、閏(うるう)秒として挿入されました。

基準がないグローバルな数値

 多くの事物を計量し数値化してきたのは、人類の大きな文化ですが、今日、ただひとつ準拠する基準がない大事な数値があります。通貨です。昔は、金を基準にしていました。第二次世界大戦後も米ドルが世界最強の基軸通貨として、金兌換(だかん)性を保ってきましたが、1971年ニクソンショックでドルの金との兌換が廃止されました。それ以来世界の通貨は基準がなく、しかもお互いに交換価値をもち、今日ではコンピュータの中のメモリのビット以上の保証をもたないが世界的に通用する数値が、富として数えられるようになりました。このことが何をもたらすのかは、これからの歴史が判断するでしょう。

〈参考文献〉
「国際単位系(SI)のはなし」、(社)日本計量振興協会


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