エムエスツデー 2006年7月号

データロガー今昔

第5回 工業用コンピュータの誕生

 現在から約10年単位で過去にさかのぼってきた「データロガー今昔」も、1960年代のデータロガー誕生期と現在を比較する章になりました。

 1960年の年末に時の政府から発表された「国民所得倍増計画」により、その後の日本経済は驚異的な成長をとげ、わずか6年後には日本の実質国民所得は倍増し、全世界が驚く発展を成し遂げることになります。

コンピューティング・ロガー

 1950年代後半には、トランジスタを採用した全電子式プロセスオートメーション装置と工業用コンピュータによるプロセス制御が各地のプラントで実験され、実用化への動きが始まりました。

 工業用コンピュータは、当初「コンピューティング・ロガー」といわれ、大量のデータを処理することが主な仕事でした。

 その後、コンピュータの仕事はプロセスデータを処理するだけでなく、制御演算を実行するとともに、プロセスが最適に動作することを目的とするようになり、それにつれて「コンピューティング・ロガー」は「プロセス用計算機または工業用コンピュータ」と呼ばれるようになりました。

リアルタイム処理

図1 HOC300コンピュータ((株)北辰電機製作所製)

 国産の技術で開発された北辰電機製の「HOC300」工業用コンピュータ(図1)は、日本鋼管(株)川崎製鉄所の転炉オンライン制御に使用され、好結果を得て、その後各地の鉄鋼プラントの焼結プロセス、高炉のプロセスにおけるデータロガー、演算制御装置として稼動しました。工業用コンピュータが実時間処理(リアルタイム処理)を行い、実用化された日本での最初の例と考えてよいと思います。

 「HOC300」は1語のデータ長が36ビットで、「読み出しアドレス」、「書き込みアドレス」および「次の命令の読み出しアドレス」と、アドレスフィールドを3つもつというユニークな命令セットでした。

 これは、主記憶装置に磁気ドラムを使用したこともあり、磁気ドラムに書き込んであるデータを読み出すのに、磁気ドラムの回転速度と読み出しタイミングを合わせて、少しでも演算処理を高速にしたいという技術者の知恵でした。また、プロセス信号は熱電対、測温抵抗体、直流電圧、パルス信号など300点および接点入出力信号400点でした。なお、アナログ出力信号にはDC2~10mAが使われ、現在使われている統一信号(DC4~20mA)が計装用標準信号として制定される以前のものでした。

 ちなみにHOC300本体の大きさはW1500×H2175×D850mmで、消費電力は4kWでした。

 現在のエム・システム技研製計装部品でHOC300相当品を構成すると、リモートI/O R3シリーズ の16スロットベース4個を使うことになり、大きさは(W448×H135×D120mm)×4セットであり、「HOC300」とリモートI/O R3シリーズの容積比は約1:0.01、消費電力比は約4kW:0.08kW(=1:0.02)になります(図1)。

デジタル技術

 1960年代の初めに、ある工業計器メーカーで「デジタル技術部」という名称の部が発足しました。1960年の初頭に「デジタル」という新しい言葉が使われ、「デジタル」とは何?と、大変興味が持たれました。

 当時、このデジタル技術部から、当時としては世界最速の、国産の工業用コンピュータが生まれました。世界最速の工業用コンピュータとは北辰電機製の「HOC510」であり、1語のデータ長が24ビット、最大32K語(96KB)のコアメモリをもち、加減算速度は10μsでした。

 「HOC510」には実プラントでの稼動実績はなく、姉妹機としてほぼ同時に開発された「HOC520」が石油精製工場のオフライン計装や石油化学工場、公共用浄水プラントなどのデータロガーとして実稼動しました。ちなみに、「HOC520」の筐体は750×950×1800mmでした。

 現在の技術を見ると、CPU、数十個の演算レジスタおよび数百MBのメモリが数ミリ角のCPUチップに実装されています。その結果、上記データロガーのCPU周辺のハードウェア価格は、数千万円が数千円になる一方、筐体の大きさは数千分の一です。

 当時からわずか40年の間に、デジタル技術は急速に進歩したことが伺えます。現在においても、デジタル技術の進歩は驚異の度を増すばかりであること、読者の皆様もよくご存じのとおりです。

【(株)エム・システム技研 開発部】


ページトップへ戻る