エムエスツデー 2005年12月号

計装 今昔ものがたり

第12回(最終回) 技術の遺伝子と製品

早稲田大学 理工学総合研究センター 客員研究員 深町一彦

 このシリーズでいろいろな技術と製品の消長を振り返りましたが、ひとつの製品の成功の周りには、やがて消えていった数知れぬ製品の山があります。残念な思いを噛み締めている技術者もおられるかと思いますが、埋もれていった製品と成功した製品を、技術の優劣とは別の角度から考察してみたいと思います。技術は成功の大事な要素ではありますが、実際に新しい製品が世に出る過程では、製品と社会との関わり合いの方がより大きな要素のように思えます。

売れてナンボ

 よく世間では「ものは売れてナンボのもの」といわれますが、逆説的ですが、製品は何かのきっかけで、たくさん売れると良い製品に成長してゆきます。製品は、開発者の手を離れて、他人の手に渡って使われ始めた時からが「製品」で、世の中に出て、開発時には想像もつかなかった扱いに戸惑い、市場のわがままに翻弄されている中で、内在する技術は研鑽を積まれ、製品は淘汰と変態を遂げてゆきます。不幸にして花咲かなかった製品の技術は、この世の中の洗礼に出会う機会に充分恵まれなかったという側面もあるのではないでしょうか。

製品を前提に世の中が

 新しい製品が世に出たときは、生まれたての嬰児のようにひ弱です。それでも購入してくれる奇特な需要家を頼りに成長して(この間に激しい変態と淘汰を経るのですが)、やがて力強く成長した製品には、その製品が存在するということを前提にした別の製品が現れてきます。それがまたもとの製品に反射して成長を促すという循環が始まります。AV機器とソフトの関係などは典型的な例でしょう。携帯電話も、初めは電車の中で嫌われ者扱いされていましたが、最近の社会の日常はその存在を前提に成り立ち、そのことが逆に携帯電話にさらに高度な機能を付加する原動力になっています。工業製品においても同様で、昔は、計装機器は「あれば便利な付帯設備」でした。万一故障しても、差し支えなく操業できる範囲で実用に供されていました。現在では、計装なくしては工場が成り立たなくなっています。

 たとえば、巨大な石油化学プラントでは、その象徴とも思われた無数のタンクが、大幅に数を減らし、かつ小さくなっています。一旦タンクに溜めて、という「生産途中のひと休み」がなくなり、総合的な制御システムを背景に、需要に応じて多種多様な製品が、上流から出荷までひと続きで生産されています。

技術はいつも歴史の途上

 戦後、プロセス計装が導入され始めた頃、労働者の職場を奪うものだと、合理化反対闘争の対象になった時期もあったそうです。重いものを運びながら、足が縺(もつ)れた振りをして計器にぶつけて壊したという逸話も残っていました。それでなくとも、こんな得体の知れないものに頼って順調な生産ができるのか、という心配も根強くありました。

 これからは全電子式計装の時代とアナウンスされて、誰もが電子回路の優位性を認めながらも、振動に弱いのではないか、屋外の環境に耐えられるのか、本当にハザードエリアで使えるようになるのか、などと疑問符がベタベタとついていました。事実、各社のシリーズが本当に全システム電子化されたのは、最初の機器が出てから更に長い年月を経た後でした。

 DCSの時代に入り、こんな信頼性の乏しいものに操業を任せられるか、と一笑に付した人もおり、また、メーカーが勝手に開発したこんなものに振り回されて良いのか、というセミナーもあったやに聞いています。

 それぞれ、そのときの状況にあって正鵠(せいこく)を得た指摘だったと思います。それにもかかわらず今日の発展を見たのは、単に技術が進んで製品が良くなったという話ではなく、初めて海鼠(まなこ)を喰ったご先祖のような、勇気あるユーザーの方々のおかげだと思っています。新しい技術パラダイムは、未熟な青二才製品が、使い込まれ、磨かれてゆくことによって成熟してゆきます(残念ながら、総ての未熟な製品が必ず未来を開いてくれるとは限らないのが、いまひとつ説得力が弱いところでもあります)。

図1 変遷を振り返って

技術の遺伝子

 突然話が飛躍しますが、リチャード・ドーキンスという人の有名な著書に「利己的な遺伝子」というのがあります。我々はやがては死んでゆくが、遺伝子を通して子孫に種を引き継いでゆきます。著者は、生物はこの遺伝子が脈々と生きながらえてゆく上での「乗り物(VEHICLE)」であると言っています。そして遺伝子は他者の遺伝子と巧みに交配しながら、より逞しい遺伝子へと組み換えを進め、我々の肉体を乗り換えながら、子々孫々へと抜け目なく継承されてゆくという説です。主人公を個々人から遺伝子へと視点を変えたこの説は、それなりの衝撃をもって受け入れられたものでした。「我々人類は」と言う代わりに「我々遺伝子類は」、と言わなくてはならないのか、我々個体の人生や人格はどうしてくれる、ただの遺伝子のお抱え運転手ではあるまいという抵抗感もある一方で、無限の命が引き継がれてゆくような安心感もあります。

 その道の専門家にはいろいろな意見もあるかと思いますが、それはさておき、技術と製品の関係もこれと似たようなものではないかと連想して引用しました。

 技術は製品を通じて具体的な形を現しますが、一方、技術は製品の興亡を超えて技術者たちの中に潜在し、継承され、形を変えて、世代を超えて別の製品の中に伝承されます。

 しかも伝承の途中で、独自な解釈をしたり、誤解したりという変態を重ね、新しい技術を貪欲に呑み込み、淘汰と進化を遂げてゆきます。技術者たちをVEHICLEとしながら、実にしぶとく、製品の盛衰を超越し、企業や国境の枠を超え、しばしば全く異なるジャンルの製品にまで潜り込んでゆきます。身近な例をとれば、PID制御のDNAは、有為転変を重ねるプロセス制御機器の中だけでなく、今やあらゆる分野で増殖し続けています。

お わ り に

図2 右 50年前の筆者と油圧噴射管式コントローラ、左 その系統図 計装 今昔ものがたりは、一年にわたり取り留めないことを書き綴ってきました。古い話をいくつか引用しましたが、個人の書棚から埃を払って取り出したものばかりで、必ずしも歴史的な検証に堪えるものではありません。年寄りのつぶやきと思って読んでください。できれば、それぞれの昔語りの断片から、ある日、ある局面へのアナロジーの一助にでもなれば幸いです。

 サービスに、恥を忍んで筆者の昔の写真を載せます。ちょうど50年前、卒論の実験設備を作っているところです。手にしているのは、油圧噴射管式のコントローラです。主として鉄鋼産業などの制御に使われていました。50年の歳月も、オンリー・イエスタデイでもあります。本誌2005年1月号の筆者紹介の写真と併せて、私個人の今昔ものがたりでもあります。

 駄文にお付き合いくださった読者の方々と、編集者のご苦労に感謝します。


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