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エムエスツデー 2005年1月号

計装 今昔ものがたり

第1回 花盛りの時代

早稲田大学 理工学総合研究センター 客員研究員 深 町 一 彦

ま く ら

 落語で本題の前に短い話をする、いわゆるつかみを「まくらを振る」といいます。
 昔、計測工学の講義を受け持ったとき、初日は時間がほとんどなかったので、「今日は時間もないから、まくらだけにしましょう」と言ったら、学生があちこちで寝始めたことがありました。近ごろの若い者は洒落がわかる。
 それはさておき、人は歳をとって自慢することがなくなると、昔の苦労を自慢したがるそうで、ここでは計装の昔話をしながら、製品開発の歴史と先人達の苦労話をします。

開発花盛り

 私が知っているのは昭和30年ごろからです。日本の基幹産業が敗戦の痛手から立ち直って、疾風怒濤のように建設が始まったころです。そのころまでの制御機器は、1台が抱え上げるほど大きく、PID制御機能は空気圧を作動媒体としたメカニズムでした。電子回路は真空管を使っていました。ゲルマニウム・トランジスタを使って東京通信工業(今のソニー)がようやくトランジスタラジオを売り出す少し前です。試作にトランジスタを使って実験をしていて、3個オシャカにすると初任給に匹敵したものです。

 それがあっという間に、小型の空気式シリーズになり、電子式になり、皆でわいわい開発競争を重ねて、やがてDC4〜20mA信号の天下統一がされるにいたる戦国時代に入りました。
 昭和30年代の中ごろには、計測展も、晴海の展示会場で建物ふたつを一杯に占拠して、毎年開催し、毎年新製品が出たものです。何しろ同じ会社で去年出品したものが、方式がまったく変って次の製品が出るのですから、買って使う方も大変だったと思います。それでも、熱心に中まで覗き込んで、原理と使用している素子を根掘り葉掘り尋ねて(同業者同士も大勢いましたが)喧々諤々論評を加えていたものです。
 計装機器メーカーの売上はウナギノボリで、昭和35年ごろの女性週刊誌に、ボーナスの多い男性のいる会社のひとつとして計装機器メーカーが紹介されたほどです。あのころの記事に惑わされた女性は、その後さぞ後悔したことでしょう。マスコミは罪作りなものです。

 今から思えば問題を種々抱えた機器でした。たとえば差圧伝送器は力平衡方式が全盛で、原理だけ見ればフィードバックの働きで容易に精度が保たれるように見え、多くの企業が開発を始めました。気安く開発された機器は、周囲温度が変わると温度計のように敏感に反応し、時間の経過で著しくドリフトし、叩けばレンジ外に振り切れる始末でした。当時一世を風靡したFOXOBOROの空気式差圧伝送器も、当初は同じような問題を抱えていたという話です。それまでは、水銀を利用したU字管式の差圧発信器を使っていましたが、石油の改質装置が建設されるようになると、触媒が水銀と反応してしまうので、どうしても金属ダイヤフラムを使用した差圧伝送器が必要だったのだと斯界の古老が言っていました。

 当然メーカーは必死で改良開発を重ねるので、次の年にはがらりと様変わりした製品になって出てくることになります。つまり開発途上製品なのです。素子、素材も日進月歩でした。弾性材料としてベリリウム銅が現れたのも昭和30年ごろでした。それまでは燐青銅でした。ステンレス材と一口にいっても圧延と熱処理で特性は大きく変ってきます。機器メーカーが工夫を凝らして、何とか問題を乗り越え乗り越え、製品をデッチアゲて世に送り出すと、間もなく新しい素子、素材が名乗りを上げ、なんなく問題をクリアしてしまうことの連続でした。

 使う方も大変でした。計器室で監視をしていて数値がおかしいと、本当にプラントの操業が異常なのか、計器が狂っているのか確かめてから対応しなくてはなりません。絶えずキャリブレーションを怠らず、折々にゼロ点の変動を確かめながら使いこなしていました。ようやく使い慣れて、計器も安定したころ、メーカーはまったく違った機器を出してくるのです。

 それでも使いこなしてゆくことが、続々と建設されるプラントを操業してゆくために必要だった時代でした。懸命に労を惜しまず使いこなしてくれていたユーザーは、メーカーの開発者にもまして、今日の計装の円熟時代をもたらした功労者といえましょう。

 事実、ユーザーの方たちにとっては、それぞれ「俺があの製品を育てた」という自負と自慢話が苦労への褒章だったのかもしれません。各製品に自称育ての親が大勢いた時代でした。

 折しも、日本はようやく自動車が普及し始めるころで、我々が今日とは比べ物にならないガタボロの中古車を、ボンネットに首を突っ込みながら何とか乗っていたのに似ています。

 製品が花咲くときには、こうした需要の急拡大が開発を引っ張り、素子、素材の相次ぐ開発が後押しし、開発する者と使う者が暗黙のうちに共通のミッションをもって疾走するもののようです。

 製品の開発、発展にも、「天の時、地の利、人の和」が必要なのでしょう。
 今回は、花盛りのときの総括で「まくら」を終りにします。次回から、いろいろな歴史の断片を拾ってお話します。
 図1に示したのは、昭和の日本経済の軌跡と、その折々に発展を支えた産業です。最近は「GDP」を経済指標にしていますが、当時は「GNP」で示されていたので数値はそれを引用しています。

図1 昭和の日本経済の軌跡と産業

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