エムエスツデー 2009年7月号

衣食住−電 ものがたり

第16回 確率と情報

深 町 一 彦

 確率に関心を寄せたのは、誰が始まりか余りよく分かりませんが、パスカルが確率論の父といわれています。ダイスの賭けで財産をなくしてしまった友人に泣きつかれて、研究を始めたのだという話ですが、パスカル自身も賭け事が嫌いではなかったという説もあります。

 非常に昔から、ダイス(賽(さい))というものは広く存在して、ファラオの墓には精巧な正六面体の賽が埋葬されていて、国政の重大な運命の分かれ道では、賽を振ってお伺いを立てたらしいです。いつも我々は、不完全な、予測のつかない事態の前で、何らかの予兆を掴もうと、確率の神様の前でお伺いを立ててきたものです。私も学生時代、試験中に六角の鉛筆を転がしてご神託を頂いた口です。

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確率と揺らぎ

 敬虔(けいけん)な信仰に支えられていたパスカル自身も、神様の意図から離れて、確率論に到達するまでの間には深い葛藤があったと聞いています。確率論を学習しても、我々の心は確率論が教えるもの以外の、何かに頼っていることが多々あります。宝くじは当せんすると思って買います。が、飛行機は落ちない方に賭けて乗ります。ルーレットで黒が7回続くと、「もうそろそろ赤になるに違いない」と思って、赤に賭けたくなります。過去に何回続こうと、次に玉が落ちる色の確率は関係ないという確率論の鉄則は充分知っているのですが。私たちは確率論をかなり中途半端に適用して暮らしています。ものごとは、いつも確率論の中心値どおりに進行しているわけではなく、絶えず揺らいでいます。確率論の大前提には、無限回ダイスを投げるのを繰り返したならば、というのがあります。もちろん本当に無限回続けることはできないので、どこかで打ち切るわけです。山本五十六という第二次世界大戦中の海軍提督は、若いときヨーロッパでポーカーの常勝ネービーといわれたそうです。チップの額が30%増えたところで必ず止めるという強固な意志を持っていたのだそうです。打ち切り時や、資金が尽きて賭けを打ち切らざるを得なくなった瞬間の、確率の揺らぎが数々の悲喜劇の元なのです。繰り返している途中では、当然偏りが出るわけで、偏りが小さく浮き沈みを楽しめる時も、時にはカジノが蒼ざめるほど大きな偏りもあり得るわけです。人生の浮き沈みが交互に来る様を、万事塞翁が馬といいますが、馬から落ちて骨折したところで、心が折れて酒浸りになってしまう人も少なくありません。パスカルはどう考えたか知りませんが、神様の意図は人間が計り知ることは許されない、だから確率として論ずる以外に方法がないのだということかもしれません。

でたらめと情報

 賽を投げ続けて記録をとると、1から6までの数字が無秩序に並ぶはずです。たまに6が3回も続いたとしても、それは無限回とまでは行かなくとも、根気よく繰り返し投げていると別の数字の列が並ぶようになります。それが、1が連続して7回出て、続いて2が連続して7回出たとすると、偶然というには余りに確率の低い状況が発生しており、ことによると胴元が何かの細工をしている可能性もあります。このように確率の低い現象が発生することは、何らかの、たとえば胴元のメッセージ(意図)が込められていることがあるということです。胴元が意識しないでも、賽の製造過程で重心が狂っているものがあるのかもしれません。これは、製造過程の問題に関する情報です。もちろんダイスのプレイヤーにとっても深刻な情報です。

確率と統計

図1 ルーレットの模型 ホームパーティーなどで楽しむ

 19世紀も後半、モンテカルロのカジノにやってきた1人の男が、密かに助手を雇って1週間に亘ってカジノにある総てのルーレットの出た数字を記録させ、入念に分析をした後、ある特定の台の出目に偏りがあるのを見つけ出し、その前に陣取って賭けを始め大勝を博したそうです。カジノでは事態に気付き台の位置を入れ替えたそうですが、その男は、しばらく負けた後、台が交換されたことに気付き、以前の台を見つけ再び大勝し、莫大な金を手にしたということです。この男は、日頃ギャンブルにはほとんど関心がないランカシャーの機械加工技師で、紡績機のスピンドル(回転軸)の均質高精度の加工に、永年携わってきた大ベテランだったそうです。大ベテランから見れば、統計のわずかな偏りも、スピンドルの回転に微妙に影響する大きな意味を含んだ情報だったのでした。

 今日では、このような統計的手法は品質管理の必需品で、現在の世界中の生産現場は、多分この男がカジノで手にした以上の大きな利益を生み出しているはずです。

 統計と確率は表裏一体のもので、統計では、物理学の法則などですっきり予測しきれない自然現象などは、統計データを元にモデルを構築して予測を行うが、不確定な部分は、そのデータの分布から確率的な予測モデルを立てて推測を重ねるしかありません。気象の予報などは、この方法が使われます。生命保険は、統計と確立をたくみに利用して保険料と利益をバランスさせている事業です。

確率と情報

 確率的に高いということは、ありふれた(珍しくもない)ということです。ゴルフでホールインワンはプロが達成してもニュースになりますが、素人がOBを出したなどというのは、酒の席の話題にもなりません。確率的に低い、非常に稀な状態が作り出されたとき、情報として重みが出てきます。もちろん、ありふれた情報でも、情報には違いありませんが、日常性の話題の中に埋もれてしまいます。このような日常的な雑音に埋もれて見つけ出し難い状態を、情報量として少ないといいます。非常に稀なこと、すなわち確率的に非常に低い状況は情報量が多いといわれます。和歌山カレー砒素事件では、カレーに混入した毒物と、自宅にあった毒物双方に、砒素以外の多種にわたる微小な異物の混入度が、偶然というには余りに一致しているという情報量の多さから犯人と断定されました。上述の、ルーレットの出目の確率のわずかな偏りは、スピンドルの加工の仕上がりに関する貴重な情報を含んでいたのですが、その情報をいち早く独り占めした彼は、それを大金に換えることができたのでした。

情報と意図

 情報とは、何らかの意図が込められています。先のダイスの目でも、単純に確立的に充分ありうる分布では意図は読み取れません。しかし、不自然な、言い換えれば確率的に低いはずの分布が続くと、胴元の何らかの意図が疑われても仕方がありません。もちろん全く偶然そうなることもありえますが、確率は非常に低いものです。

 一見無機質に見える、温度を知らせるアナログ信号でも、温度計を設置した時点で、その測定点の温度を知りたいという意図が込められています。小鳥の求愛のさえずりにさえ、雄から雌への特別の情報が込められています。

情報工学

 このように情報には、必ずと言って良いほど発信者、受信者の意図が込められていますが、発信者の心の重みは、数値的な表現には適しません。クロード・シャノンたちによって提唱された情報工学とは、こうした情報を、込められた意図から切り離して、純粋にその情報がいかに正確に伝達し得るか、正確な伝達を妨げるものは何か、正確に伝達し得る情報の限界はどこにあるか、などを量的に捉えて、伝達されてゆくにつれて情報が減衰し、雑音に埋もれて判読し難くなる過程を数学的に説明しようとしたものです。シャノンによれば、恋人が語るYESも、取引の送金を受け取ったというYESも、扱う情報としては同質のYESとして扱っています。

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 今回は、情報という捉えどころのない代物の体質を、表面的にですが模索してみました。


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