エムエスツデー 2009年6月号

衣食住−電 ものがたり

第15回 秩序と混沌 エントロピー

深 町 一 彦

 熱力学の第2法則という奴に出会ったときは、大変困惑したものです。第2法則そのものは非常に当たり前で、平たく言えば「温度の低い方から温度の高い方へは熱は伝わらない」ということでした。当たり前すぎるのも困惑でした。更に追い討ちをかけるように、突然、だから第2種永久機関は実現不能であるときて、続いてエントロピー増大の法則という話になりました。いろいろ解説書を探しても、分かり易く説明しようとしているものほど、一層分からなくなる混迷の法則でした。

熱力学に始まる

 効率のよい熱機関の開発が競われていた19世紀初頭から、熱力学は、徐々に基礎が形作られてきました。当時は、まだ熱というものがよく分からなくて、熱素という物質があるという考えが有力でした。有名なボイル・シャルルの法則が発表されたのもこの時代でした。

 フランスの工兵士官サジ・カルノーは、1824年「火の動力についての考察」という論文で、仮想熱機関(平たく言えば、最も理想的に作ったとしてということ)のモデルを通して、高熱源と低熱源の比によって、熱機関の動力変換効率には上限があるということを説明して、今日の熱力学の基礎を確立しました。彼は、当時はまだ熱素説を信じていたようで、晩年に至って熱エネルギーを信じたということです。

 同じ頃、フーリエも熱伝導の研究をしていたそうですが、これは何故か、数学的に有名なフーリエ変換に繋がったそうです。卒業単位ひとつ取得するのが精一杯だった学生時代を振り返ると、当時の偉人達の幅の広さに敬服します。

 カルノーの研究はやがて絶対温度の概念の確立につながり、クラウジウスが、第1法則と第2法則を確立して、エントロピーの概念に到着したそうです。エントロピーと命名したのはクラウジウスだそうです。

 19世紀後半になると、熱を分子の活動と考え、ボルツマンなどが創始した統計力学から、熱力学のいろいろな概念が説明できるようになり、統計力学と熱力学が、互いが互いを刺激して発展してきました。

偏在から遍在へ

image グリムの童話に、いろいろな麦や雑穀を一緒くたにぶちまけて、これを明日の朝までにそれぞれもとの袋に仕分けしてしまいなさいと、継母が少女に言いつけるいじめの話があります。継母が意図的にぶちまけなくとも、袋から取り出した麦や雑穀は、放っておけば時間とともに、風が吹いたり、猫が歩いたりという極めて自然な現象の中でも、徐々に混ざり合って、元に戻ることはありません。童話では、親切な小鳥が手伝いに来て、翌朝までに穀類はそれぞれの袋に綺麗に分けられていたそうですが、自然のままでは、このように再分類されることはありません。

 これを、たとえば気体分子に置き換えると、いろいろな速度で運動している気体分子を、運動速度別に分類して容器の別々のコーナーに集まれと命令しても、誰か外力が特別な方法を講じない限り実現しません。熱力学第2法則が指摘している現象がこれです。

 これがエントロピー増大の法則でもあります。

 重厚な動力の問題を扱うはずだったエントロピーは、雑然と散乱してしまって、ひとつひとつを取り上げられない状態のものの「雑然さ」を表現する統計的な用語にもなりました。シャノンは、1948年「通信の数学的理論]を発表し、それまで曖昧な概念だった情報というものに数値的な根拠を与え、情報量の単位としてエントロピーを採用しました。

 数学的にいえば、雑然さの中で偶然偏っている事象が発生する確率を意味します。厳密には、その確率の逆数の対数です。
 S=−K・logP
 (S:エントロピー P:確率)

 熱力学で扱うエントロピーと、統計力学や情報工学で扱うエントロピーの単位をそろえるために、上の式にKという比例定数があります。これをボルツマン定数と呼んでいます。

エントロピー

 エントロピーという概念は、熱力学から始まって、いろいろな領域の問題を説明することができることがわかってきました。社会学や経済学の世界の解釈にも使われています。今や、日常的な言葉になってきました。

 ものごとは、整然と整頓された状態から雑然と散乱してしまった状態に変化して行って、元には戻らない。最後には、雑然として総てが均一化してしまった世界にいたるというものです。

 大きな岩山も、長い間には風雪にさらされて徐々に平地になってゆきます。決して「さざれ石の巌となりて♪♪・・・」ということはありません。

 タイプライター(最近はあまり見かけませんが昔から使われてきた比喩なので)を、猿が悪戯しても、結果として大英百科事典ができることはない、といわれています。ことによると気の遠くなるほどの年月(多分猿という生物も、それを大英百科辞典と認識する人間も絶滅するくらいの時間と繰り返し)の中では、偶然できる確立もゼロではありません。しかし、意思をもった作品ではありません。

 しばしば引き合いに出される石油や、その他の資源も、地球何十億年の歴史の中で、偶然が重なって、地中に偏って埋まっていたものを、我々は掘り起こして、熱にして動力に変換したり、使いやすい物質に精錬して消費しています。消費ということは、偏在していたものを、ばら撒き散らして遍在させてしまうことです。時には、火薬と一緒に大量の物質と生命を粉々に粉砕して撒き散らす行為もしています。エネルギーを変換したり、移送したり、あるいは機械動力として稼動すれば、必ず、そこには、損失が生じます。送電線は発熱し、機械は摩擦によって、摩擦熱と磨耗による物質の損耗を伴っています。総てのエネルギーは、最後には熱になってしまいます。摩滅した機械の鉄粉も酸化して、つまり緩慢な燃焼をして熱になります。一旦散らかったものは、いくら分別収集の努力を重ねても、時間的に遅らせることはできるが、最後には砂漠の砂と区別がつかなくなり、エネルギーは熱となり一部は放散し、一部は地球の平均温度を押し上げて終わるはずです。

 エントロピー増大の法則は、時間の矢は一方向に飛び続け、決して後戻りはしない、過去に遡るタイムマシンは作れないということでもあります。

 − しずのおだまき繰りかえし、昔を今になすよしもがな −

*   *   *

 部分的に見れば、エントロピーが減少する現象もあります。我々が、積み木を積んでお城を作れば、これはその部分では、雑然とした積み木の材料から、意味のある形を作っています。ここには人間という生物が介在しています。人間も含めた系を以って考えなくてはなりません。積み木のお城はやがて崩れ、次にまた人間の手でおもちゃ箱に整然と収められます。人間という、膨大なエントロピー消耗者を介して、部分的にエントロピーが減少したものです。

 一粒の種が、やがて形を成し、成長してゆく過程は、明らかに混沌から秩序を回復している感動的な情景です。生物は、自然が生んだ特殊な偶然が、周りのエントロピーを消費しながら(エントロピー増大の法則の中で消費といっては、言葉として意味が逆ですが、小さいエントロピーが希少で価値を内蔵しているという意味でご理解ください)、特定の部分に極めて精巧な秩序を形成している不思議な自然物です。バイオエネルギーはクリーンと喧伝されていますが、燃せば炭酸ガスが発生することは他の物質と同じです。生産過程で、空気中の炭酸ガスを固定化しているということで、たとえば、間伐材を放置すれば、時間の経過とともにそのまま炭酸ガスになります。エントロピー増大の法則が絶対であるとすれば、生物がやがて必ず死に至るのは、このエントロピー増大法則を歪めていることの清算なのかも知れません。

 なにか生者必滅のことわりを教えられているようでもあります。


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