エムエスツデー 2009年2月号

衣食住−電 ものがたり

第11回 自動機械(オートマタ)

深 町 一 彦

 ギリシャ時代、キプロスの王様ピグマリオンは、女神アフロディーテに憧れて、妻も娶(めと)らず女神の石像ばかり彫っていましたが、遂には自分の彫った大理石の人形に恋をしてしまいました。アフロディーテは哀れに思い(悪い気はしなかったのでしょう)、人形に命を吹き込んでやり、彼はこの人形をガラティアと名づけて妻にしました。王様にしてはオタクっぽい話ですが、昔から人形は多くの人が想いを込めています。バレー、コッペリアは人形師コッペリウスが作った人形コッペリアに恋をする青年の話です。オペラのホフマン物語にも似たような話が出てきます。

自 動 人 形

図1 ミュンヒェンの市役所の大時計と人形

 こうした自動人形は、基本的に歯車やカムなどの精巧なメカニズムの上に成り立つ自動機械です。自動機械つまり「からくり」は、紀元前からあり、とくにアレキサンドリアには、いろいろな自動機械があったそうです。ヘロンが作ったといわれる、燭台の灯の熱を動力源として、灯を消すと聖堂の扉が自動的に閉じる教会とか、硬貨を入れると葡萄酒と水が出てくるとか、いろいろ工夫を凝らしたものがあったそうです。こうした自動機械(からくり)全般を指してオートマタと呼ばれます(単数形はオートマトンですが、こちらは情報科学系の用語として、もっと広い意味を持って用いられています)。

 精巧なメカニズムの創作は時計に始まります。時計は13世紀ころから作られ始めましたが、振り子と脱進機は1656年に発明されています。天球儀と連動して200年先の天体の運行まで組み込まれているものまでありました。高価なもので、当時は貴族とか領主だけが所有していました。領民たちに時を告げる鐘楼が建てられ、時刻を知らせる鐘の音に合わせていろいろな人形が、多様な仕草を見せます。立派な時計塔と自動人形は、領民たちに対する支配者の権力の誇示でもありました。図1は、ミュンヒェンの市役所の大時計と、その周りで時刻になると廻り踊る人形の写真です。

図2 手紙を書くピエロ ミッシェル ベルトラン作(オルゴールの小さな博物館 所蔵)

 1500年にはゼンマイが発明されて、時計は持ち歩きができる小型になりました。自動人形もゼンマイ駆動になり、時計塔から室内に入り、純粋に人形として楽しむ貴族的な趣味として発達します。表情も豊かになり、身に着ける衣服や靴も、本物と同じ材料で、同じように仕立てられました。図2の「手紙を書くピエロ」は、手紙を書きながら首が前に垂れて思わず居眠りをして、はっと気が付いて左手でランプの芯を出して明るくして、また手紙を書き続けます。1900年になると、電動のオートマタが出現します。

 面白いことに、こうした工夫を凝らした今の世代でも感嘆するような複雑なからくりが発達したのに、その情熱は、もっぱら自動人形やオルゴールのようなアミューズメント系の製品に向けられ、産業革命までは、生産や工業的目的に目が向かなかったことです。ひたすら創るものと鑑賞するものの情熱だけでこれだけのものができたわけです。

からくり人形

図3 からくり人形 茶杓娘(写真:「夢からくり一座」東野 進 様 提供)

 日本では、「からくり人形」と呼ばれています。茶運び人形や、おみくじ引き、弓曳き童子などいろいろなものが作られました。図3は東芝の創始者のひとり、田中久重が製作した茶杓娘です。田中久重は通称「からくり儀右衛門」と呼ばれ、エジソンに負けない大発明家で、若いころからいろいろなものを創り出しています。彼が作った和時計、万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)は有名です。

オルゴール

 オルゴールは、自動人形に組み込まれて、可憐な音で人形の踊りを伴奏をするものもありましたが、一方では、立派な楽器としてお金持ちの贅沢品でもありました。スイスのリュージュ社の製品は名品とされ今でも生産を続けています。家具ほどの大きさのものもありました。木材の大きな響板を使って、広い部屋中に響くほどの音量でした。ゆっくり回転するシリンダに、丁寧に植えつけられたピンがコーム(櫛歯)と呼ばれる振動片を弾いてゆくのは今日のものと同じ原理ですが、一曲終わると、シリンダが僅かにずれて別の配列のピンが別の曲を奏で、10曲以上を内蔵しているものもありました。コームを弾くだけでなく、ベルやドラムを叩いたり、鞴(ふいご)を動かしてリード・オルガンを演奏するものまでありました。

 シリンダの代わりに円盤型のオルゴールができ、プレスで円盤が量産できるようになると、今日の円盤型のレコードと同じように、曲の交換が容易になり、人の集まる場所に置かれて、お金を入れて聞くジュークボックスも出現しました。

 やがて、エジソンが蓄音機を発明すると、オルゴールの全盛は急速に衰退します。

 なお、戦後、三協精機製作所が大規模生産を始め、今では世界のオルゴールの約80%のシェアを占めています。

 オルゴールと並ぶものに自動ピアノがあります。幅広の穿孔(せんこう)紙に曲を録音し、ピアノにかけて演奏するものです。段々精巧なものができ、音楽史上有名な巨匠たちが自分の曲を演奏して紙型にして残しているものも少なからずあります。今日でも、その紙型を使って昔日の巨匠の名演奏を聴くことができます。自動ピアノも奥の深い製品ですが、ここでは「穿孔紙」というメディアが使われたことに、今日のコンピュータの源流のひとつを見てください。

自 動 織 機

図4 無停止杼換式自動織機(G 型)1 号機(大人のための社会科見学 トヨタ、日本出版社 より転載)

 1785年、カートライトが力織機(りきしょっき)を発明し、始めは水力で駆動していましたが、後には蒸気機関を駆動力に使って生産量は飛躍的に増大し、産業革命の幕開きとなります。自動機械は、金持ちの楽しみから工業用の実用時代へと突入します。

 1801年、フランスのジャカールは、ジャカード織機(ジャカールの英語読みです)と呼ばれる自動織機を発明します。この機械は穿孔されたパンチカードによって、織り上げる模様を自動的に定型化することができました。この、パンチカード方式こそが、後の計算機や集計器の入力装置として活躍するコンピュータ時代の重要な周辺機器となってゆきます。

 日本では、豊田佐吉が日本で始めて豊田自動織機を発明し、1896年には究極の目標であった世界最初の無停止杼換式(ひがえしき)自動織機、G型豊田自動織機を完成し(図4)、それまでの織り機の15~20倍の生産性を誇り、日本の繊維産業が世界を制覇する時代を開いたのでした。

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 時計と人形に始まった精緻(せいち)な自動機械は、やがて産業革命と工業社会を担い、今またロボットの時代の先駆となったのでした。


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