エムエスツデー 2008年4月号

衣食住−電 ものがたり

No.1 それはパリのサロンから始まった

深 町 一 彦

は じ め に

 タイトルの「衣食住−電」は、電気が衣食住と同じくらい重要な位置を占めているという意味を示唆したのですが、実に今日の私たちの生活においては、電気はエネルギー源としてまた論理と通信の手段として、社会システムの中に霜降り肉の脂のように(正直なところコレステロールが心配なほど)、みっしりと組み込まれています。地震、洪水などの災害に見舞われた地域でも、生活復旧の第一歩は、まず電気の供給から始まります。

貴婦人たちのサロンで

 18世紀後半、華のパリで夜毎々々の社交界では、美酒と絢爛たる恋の傍ら、美術や文学、演劇が貴婦人たちによって語り合われていました。往時、話題として流行っていたのは「科学」でした。科学は貴婦人たちの話題の定番で、彼女たちはサロンばかりでなく自前の実験室を持っていて、天秤や気圧計、耐熱坩堝、温度計などが揃っていたそうです。中でも有名なのはシャトレー伯爵夫人で、この女性は、当時の貴族社会の象徴のような奔放な生活を送り、劇作家ヴォルテールの恋人として有名ですが(この当時は不倫という言葉はなかったらしい)、ラテン語で、しかも近代科学以前の学術文スタイルで書かれたニュートンのプリンキピアを、微積分(これももちろんニュートンとライプニッツの産物だが)を駆使して解釈、翻訳したことで有名です。セレブというのはこういう人を指すのですね。

 すでにアカデミーという学会がありましたが、新聞、雑誌など今日ほど普及していなかった時代、こうしたサロンで最新の科学の学説を発表して貴婦人たちの評価を得ることは、今日のnature誌に取り上げられるほどの社会的な影響力があったようです。

 当時の電気に関する多くの発見は、その現象の神秘性からも、こうしたサロンではいつも花形の話題だったようです。静電気は、すでにギリシャ時代に、「琥珀を擦ると羽毛を引付ける」とターレスが述べています(この人は紀元前585年に日食を予言したほどの大学者ですが、天体の観測に夢中になって足下の溝に落ちたという逸話の方が有名です)。ちなみにエレクトリックという言葉の語源はギリシャ語の黄色い琥珀からきています。摩擦起電機で得られた高圧の電気をライデン瓶に蓄電して、人を感電させる遊びが流行していました。

蛙と電気 ガルバーニの実験

図1 ボルタの電堆 有名な話ですが、1789年、ガルバーニは屋外の鉄柵に蛙の足を金属で吊るしておいたところ、雷が鳴ると蛙の足が激しく痙攣することに気付き、蛙の足を検電器として使う研究を進めサロンでも発表しました。夜会の席で、着飾った貴婦人たちが、痙攣する蛙の足に見入っている構図を想像するのは、なんともいえぬものがあります。ガルバーニは、蛙の足という生体に起電力があるという動物電気説を展開し、ボルタはこれに深い関心を示していました。実はこの蛙の実験より数年前にシビレエイという魚が電気を発生させるということが見つかっています。ボルタは、後に生物の電気ではなく異種の金属の接続が電流を生み出すと考え、ガルバーニと論争もありましたが、やがて塩水で湿らせた紙を銅と亜鉛の板に挟んだものを何組も重ねたボルタの電堆を発明し(図1)、続いて希硫酸の液の中に銅と亜鉛の電極を入れた本格的な電池(ボルタ電池)を作り、持続的に電流を取り出せる、使える電気が人間にももたらされるようになりました。1801年、ボルタは、招かれて、パリでナポレオン夫妻の前で蛙の足や電池の公開実験をお披露目してご褒美をもらっています。

電気と生命

 電気の神秘性は、生命との関わりをもっていると早くから考えられ、いろいろな治療にも使われていました。中にはいかがわしいものもあったようです。雷の電気のショックでフランケンシュタインが生命を得るというシェリー夫人の小説は1817年に発表されました。日本に摩擦起電機が伝わったのは1776年、平賀源内が作ったエレキテルが始まりです(図2)

図2 平賀源内のエレキテル ガルバーニの動物電気説は、ボルタ電池によって一歩後退させられたように見えますが、その後も熱心に研究を続け、やがて金属を接続せずとも蛙の足が痙攣する現象を発見しています。しかし、当時の実験設備ではそれ以上の進展は得られませんでした。

 敏感な検流計が使える時代が来て、生体電流の研究はようやく動き出し、今では、生体の中にはなんとボルタ電池とそっくりな起電力が、細胞膜の周りに存在していることも分かりました。今日更に高度な計測技術が使えるようになり、電気信号が我々の筋肉と神経を駆け巡っているさまが研究されています。後にウィーナーの「サイバネティックス」への重要な足掛かりにもなっています。

 今日でもガルバーニの名声は、ガルバノメータ(検流計)の名に残っています。

 ついでですが、チョコレートの銀紙を口に咥えると、ビリッと不快な刺激がくることがあります。虫歯に詰めた金属との間の微弱な電流が原因で、歯医者さんはガルバニ電流と呼んでいます。

電磁誘導の発見と発明

 1820年、エルステッドが電流の磁気作用を発見、はじめは磁針が触れる程度の電流検知器でしたが、1830年には、電磁石として実用に供されるようになっています。

 エルステッドに続いて、1831年、ファラデーが電磁誘導の法則を発見、これこそが機械的なエネルギーと電気のエネルギーが、双方向に変換できることを可能にし、今日の電気万能の時代の第一歩が踏み出されました。

 それまで、機械的な動力は、風車も蒸気機関も回転する軸によって伝達されるので、伝達距離にも、方向転換にも大きな制限がありました(往復運動はもっと扱い難かったのはいうまでもありません)。優れた発電機と電動機が量産されるようになって、フレキシブルな電線を介して動力を伝達することが日常的になり、やがて、それまでの産業設備の構造を大きく変化させています。

*   *   *

 近代技術の揺籃期は、今も単位や法則に名を残す偉人たちの才能と、着飾った貴婦人たちの寵愛の中で育てられたのでした。

【深町様の執筆記事】エムエスツデー 2005年度 連載「 計装 今昔ものがたり 」


ページトップへ戻る