エムエスツデー 2007年7月号

ITビジネスから見た海外事情

第7回 中国大変貌・・・IT編

酒井ITビジネス研究所 代表 酒 井 寿 紀

コンピュータの博物館?

 先月号で中国社会の変貌振りを取り上げました。引き続いて、今月は中国のIT産業の変貌をご紹介しましょう。

 私は1980年代の半ばに中国科学院の計算機研究所というところを見せてもらったことがあります。ここは、コンピュータ技術では中国で最も進んだ研究所でした。 あるとき、この研究所の人が案内してくれると言うので、ぜひ見せてくださいと頼みました。その人が自転車でわれわれの乗ったタクシーを先導するという珍妙な形で北京の市街を移動し、この研究所に着きました。

 研究所の部屋には、「013」という、部屋がいっぱいになるような、真空管式の大型コンピュータが置いてありました。欧米や日本では、コンピュータの部品は、1950年代の真空管から、トランジスタ、IC、LSIと進歩し、当時は1,000以上の演算回路が入ったLSIが一般に使われていました。もはや、真空管式のコンピュータなど博物館でしか見ることができませんでした。しかし中国では、半導体の製造ができなかったため、最先端の研究所でもまだこのような真空管式のコンピュータが使われていたのです。

 その部屋の片隅には大型の磁気ドラムが置いてありました。外部記憶装置として使っていたのが動かなくなったので、切り離してあるということでした。外部記憶装置に一番困っているという話で、ちょうどそのとき入荷した磁気テープ装置の梱包を解いているところでした。見るとそれは当時の東ドイツ製でした。欧米や日本では、外部記憶装置として磁気ディスクがすでに一般化していましたが、その入手はできなかったのでしょう。先端技術の製品の中国への輸出は規制が厳しかった時代でした。

 当時の中国でも、パソコンの製造はすでに一部で始まっていました。北京の郊外にある北京有線電という工場を見せてもらったことがあります。そこでは「長城」というIBMと互換性のあるパソコンを製造していました。

 北京に精華大学という理工系では中国で最もレベルが高いと言われる大学があります。1980年代の初めにそこで半導体の製造設備を見せてもらったことがあります。驚いたことに最新のLSIの製造装置がずらっと並んでいました。どこからどのようにして入手したものかは分かりませんでした。一箇所空いているところがあったので聞くと、そこにはステッパというLSIの製造に不可欠な装置を設置する予定なのだが、まだ入手できてないということでした。装置ごとに苦労して入手している様子でした。しかし、まさか大学の中にLSIの製造ラインを構築中とは思いもよりませんでした。

技術導入大作戦

 このように1980年代には、中国のコンピュータ産業や半導体産業は、欧米や日本に比べて大変遅れていました。そのため中国政府は当時の李鵬副首相直属の部隊を編成して、コンピュータの技術導入プロジェクトを推進しました。それは当時の最新鋭のコンピュータの設計や製造の技術だけでなく、それに必要な半導体の技術、設計自動化の技術なども導入しようとする壮大なプロジェクトでした。

 当時の中国の技術レベルは、欧米や日本に比べるとあまりに差が大きかったため、まず応用プログラムなど、コンピュータの使い方の技術の導入から始めるのが現実的なように思われました。しかし、中国政府にはそういう考えはまったくなかったようです。コンピュータ産業の基盤から最新技術までを一挙に導入しようという考えでした。しかし、このプロジェクトは、結局当初の計画どおりには実現しませんでした。

そして現在は・・・

 当時から約20年しか経っていませんが、現在の中国のIT産業はどうなっているでしょうか。

 中国最大のパソコン・メーカーのレノボは、2005年にIBMのパソコン事業を買収し、今や米国のヒューレット・パッカード、デルに次いで世界第3位のパソコン・メーカーになりました。本社は米国にあり、中国の7箇所と米国、日本に開発拠点を持ち、中国の5箇所とインドで製造して全世界で販売しています。

 LSIの生産では、ファウンドリと呼ばれる製造受託業が流行しています。この業界で、中国のSMICは、台湾のTSMC、UMCに次いで世界第3位のファウンドリになりました。SMICは2000年に設立され、現在、上海、北京、天津に製造拠点を持っています。技術的には、90ナノメートルの加工精度や、直径30センチメートルのシリコン基板まで扱えるという、世界最高クラスの技術を持っています。

 インターネットのユーザー数では、中国は日本を抜いて、米国に次いで世界第2位になりました。昨年末の中国のインターネット人口は約1億3000万人ということです。これは約13億人の人口のまだ10%に過ぎませんから、全世界のネットワークでの中国人ユーザーの比率は今後ますます高まるでしょう。

 ユーザー数が多いだけでなく、インターネットの使い方についても世界の最先端をいく企業が出現しています。アリババという中国の企業は、企業間の商取引を仲介するEコマースのウェブサイトを運営し、主として中国国内の製造業者を全世界のバイヤーに紹介しています。200か国以上から300万人以上のバイヤーが登録していると言われ、世界最大のビジネス・ツー・ビジネス(B2B)のサイトです。1999年にこの会社を起こしたジャック・マー氏は、元は英語の先生だったそうです。数年前にこの人の話を聞いたことがありますが、「私は技術にはまったく興味がありません。私が関心を持っているのは市場ニーズだけです」と強調していました。これからは中国に限らず、こういう考えの人がインターネットを使った新しい事業をどんどん開拓していくのでしょう。

 インターネットで相手構わず送られてくる迷惑なメールのことをスパム・メールと言います。あまりいい話ではありませんが、このスパム・メールについても、中国は米国に次いで世界第2位になったと言われています。

 私のところにも毎日大量に中国の簡体字のスパム・メールが送られてきます。私は中国語をよく知りませんが、漢字から内容がだいたいわかります。日本や米国のスパム・メールは、個人を対象にした出会い系やカネもうけの話、いかがわしい商品の販売などがほとんどですが、中国のスパムはだいぶ違うようです。税金業務の代行の広告やセミナーの聴講者の募集など、企業相手の極めてマジメな(?)内容が多いようです。連絡先の担当者の氏名、電話番号、メールアドレスもちゃんと書いてあります。政府があまり取り締まっていないため、業者が広告媒体としてどんどん使っているのでしょう。

 中国語がわからない人にスパム・メールを送っても、送られた人が迷惑するだけで何の意味もありません。しかし、当局の取締りがない限り、相手の迷惑など構わず、利用できるものは何でも利用しようとする中国人の旺盛なエネルギーには圧倒されます。

 このように、現在の中国ではITの世界でも20年前には想像もつかなかったことが起きています。これを可能にしたものは何だったのでしょうか。まず、共産主義から市場経済への社会体制の変化があると思います。そして、個人の能力の優秀さがあると思います。先進国では博物館にしかないようなコンピュータを作った中国科学院の研究者は、当時としては珍しく英語を話し、コンピュータの最新技術を実によく知っていました。

 この20年間に中国社会は激変しました。そして、中国のIT産業もこの間に大変貌を遂げました。2020年までに中国のGDPが日本のGDPを追い超す可能性があると言われています。この巨大な隣人への接し方が、21世紀の日本の大きな課題になるでしょう。


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