エムエスツデー 2008年12月号

衣食住−電 ものがたり

第9回 情報という科学

深 町 一 彦

 通信というものが、かなり昔から使われてきたことは前にも何度か触れましたが、通信技術が先行して、それらに共通する「情報」というものの意味を捉えるようになったのは、20世紀も半ばでした。

 第二次世界大戦中、航空機の速度が速くなって、通常の照準では高射砲で撃ち落せないという問題に端を発して、多くの研究が行われました。一つは、航空機の性能や操縦士の回避行動の技能まで予測して、砲弾が届くまでに航空機が移動する位置を予測する統計的な手法に研究が進められました。背景には波長の短いレーダーが航空機の位置や速度の情報を正確に把握できるようになったこと、高速の計算機械ができたことがあります。もう一つは、重い砲身を決められた照準位置に向けて素早く操作する技術でした。高速の演算装置と追随性の良いサーボ機構が必要でした。

 米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に、多くの科学者が集められ、革命的な科学の飛躍が生まれました。特筆すべき発明はフォン・ノイマンの計算機ですが、もう一つはノーバート・ウィーナーによるフィードバック理論の展開でした。それを支えた背景は真空管(今日ではトランジスタに置き換わりましたが)による電子回路の技術でした。

 人の筋肉労働を、蒸気機関に代表される動力機械に置き換えた産業革命に対比して、人の判断、知力を機械に置き換えた「第二次産業革命」と呼ばれています。

 もはや、自動化とは、工夫を凝らして個々の装置を考案するのでなく、どんな目的にも対応できる一般的な方法がもたらされたともいえます。そしてそればかりではない世界が開けてきました。

 20世紀の新しい工学の誕生でした。計算機のフォン・ノイマンは有名ですが、ここでは、もう一人の天才、ノーバート・ウィーナーに触れてみたいと思います。

ノーバート・ウィーナー

ノーバート・ウィーナー 世界中のほとんどの言葉が話せるという言語学者の父親に、幼児期からいろいろな国の古典を暗証させられて育ったという話で、9歳で高校の2年に編入し、11歳でタフタ大学に入学して神童と呼ばれた人ですが、いろいろな大学で、数学や動物学、哲学など多角的に専攻し、1919年24歳でMITの講師になりました。その後いろいろな遍歴がありますが主としてMITで活躍しています。とにかく広い視野に恵まれた人で、大学でも、主として数学者だったようですが、制御理論の構築の主軸であっただけでなく、哲学者、社会学者、文化人類学者、生物学者、心理学者などあらゆる専門の分野の学者達と交流を深くし、中には、後年それぞれの功績ではウィーナーよりさらに著名になった人たちも少なくありませんが、おしなべて皆、ウィーナーの総合的な深い思索に、多大な影響を受けたということです。

 生命体の神秘を、神経と筋肉における信号伝達とフィードバックの視点から、電子回路のそれとの類似を解明してゆく中で、単に電気、機械に留まらず、生物系、社会系までを包含する工学的な統一した見解を確立しました。晩年、転んで腰を打って入院したとき、病床で医師達を指導して、神経からの電気信号を感知して、障害者の意のままに動くサーボ義手の開発の指導を始めたということです。

 冷戦の中、軍と科学が一体となって暴走している時期に、一線を画して科学は人類のためにあらねばならないとストイックに発言を続けていたために、「赤狩り」に狂奔していた冷戦の時代の米国で、反政府的人物の一人としてFBIの監視対象になったこともありました。いろいろな話題のある人ですが、優秀な学者によくある例ですが、実験はからっきし不器用だったそうです。しかし、いつも教えを求める優秀な協力者が周りにいました。かなりメタボな体形だったようですが、非常にナイーブな神経の持ち主で、後年は科学と科学者の倫理を説いて世界中を講演してまわり、最後は、スウェーデンで階段の途中で動けなくなり、心停止で亡くなっています。

 とにかく、限られた紙面で語りつくせるようなスケールの人ではありませんでした。

サイバネティックス− 動物と機械における制御と通信 −

図1 ノーバート・ウィーナー著『サイバネティックス−動物と機械における制御と通信− これは、ノーバート・ウィーナーの代表的な著書です。サイバネティックスとは、ギリシャ語のキュベルネテス(舵手)からきていて、高い目的を持って、乗客を海で迷わせず、という気持ちで作られた言葉だそうです。ずっと遡って、アンペールも使ったそうですが、今日の意味で命名したのはウィーナーでした。同じ語源でラテン語のグベルナトスはガバナーの語源になっています。

 ウィーナーは通信と制御は一体のものであるとしています。制御とフィードバック機能については、不可分のものとして随所に言及しています。メッセージという言葉を使っていますが、人から機械へ、機械から人へ、また機械から機械へと幾重にもメッセージが伝達されて、大きな役割をはたすことになる、人間にも動物にも機械にも通用する共通の工学的制御の理論が、メッセージの一要素をなすと述べています。メッセージがフィードバック機能を介して伝達され、サーボ機械が、あるいは動物の筋肉がコントロールされる現象に繰り返し触れています。

 1948年に、フランスの出版社がウィーナーに執筆を薦めたのが「サイバネティックス」執筆のきっかけで、当初フランスで出版されることになっていましたが、いざ出版という段になって、米国がそれまで等閑(なおざり)にしてきたこのテーマの偉大さに気付いて、慌ててフランスの出版社に掛け合って、ようやく米仏同時出版にこぎつけ、本国の面目を保ったといういわくつきの出版でした。出版されるや大反響で、半年で5版を重ねたということです。

 全部で8章からなり、序章だけで36頁(邦訳)もあり、共同で研究に励んだ、学際的な広い分野の膨大な知人の名前が出てきます。序章だけ読んでも目から鱗が落ちそうです。中ほどの章では、フィードバックによる振動と、生命体の神経の伝達速度から算出した手の震えについての有名な説明が載っています。最終章は「情報、言語及び社会」と題して人と人のコミュニケーションについて触れ、社会に溢れるコミュニケーションのもたらす危うさにまで言及しています。我々は、この60年前に書かれた著書が指摘している危うさを、今日さらに深く、日常のこととして感じています。

 一部に数式が使われていますが、おしなべて、懇切な説明が、平明な文章で綴られています。

情報というもの

 「情報は情報であって、物質でもエネルギーでもない」これもウィーナーの著書のどこかに書かれていた言葉です。

 熱力学の第2法則、エントロピー増大の法則を、我々が、自然が秩序から無秩序な崩壊に向かう必然の過程の中にあることを捉えて、情報はその中における、恣意的な秩序とその解釈の問題と位置づけ、コンピュータの中の高度な論理処理はもとより、社会学、言語学、大脳生理学など、留まるところを知らない広範な近代サイバー科学の幕開けでした。

 それまで、種々の実用化が進められてきた通信の技術が、単なる実用手段から抜け出し、「情報というもの」が、それまでのニュートン以来の力学系にはなかった新しい科学の解釈を与えるキーワードに開花した時代の話です。

*   *   *

 サイバネティックスは、人類が過去2000年に知恵の木の実から齧って得た中で、最大の一口と思う(グレゴリー・ベイトン)


〈参考・引用文献〉
ノーバート・ウィーナー 著、池原止戈夫、弥永正吉、室賀三郎 共訳:
「サイバネティックス」、岩波書店
ロー・コンウェイ、ジム・シーゲルマン 共著、 松浦俊輔 訳:
「情報時代の見えないヒーロー(ノーバート・ウィーナー伝)」、日経BP社


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